常陸国と出雲国の稲田神社

 この原稿は、6年前の秋に書き、放置していたものです。
                    (2008/06/18)

 笠間市福原にある出雲大社常陸分社に参拝した後、福原の東方、稲田にある稲田神社に立ち寄り参拝した。この神社は、奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)が祭られており、延喜式に載っている古社である。神社の規模は、通常見かける一般的な平凡な神社であった。本殿に向かって右側に摂社があり、素蓋鳴之尊(すさのうのみこと)を祭った八雲神社であった。



(上の写真をクリックすると大きい画面で見ることできます。)
笠間市稲田の稲田神社入口(2002.06.15)
説明看板


拝 殿

本 殿

 稲田神社と聞くと国民学校入学前後の子供の頃の記憶が蘇ってくる。子供の頃は、よく母の実家に泊りに行ったものだ。母は島根県仁多郡奥出雲町横田(平成の大合併前の町名は、仁多郡横田町、以後旧町名で記す。)の出身で、この町の稲田というところに稲田神社があった。あるとき叔母に連れられて稲田神社のお祭りに行った。神社の参道には露店が立ち並び大勢の参拝者でにぎわい、神社は、大きく立派であったと記憶している。この記憶は、消えることなく残っていたので、是非、再訪してみたいと思っていた。
 2000年、母の実家で法事があり出向いた。法事のあと時間があったので、念願の稲田神社にお参りすることにし、稲田出身の義叔母に神社への道を聞いたところ、「荒れていて行ってもつまらないですよ。創建者が落ちぶれて金がなくなり、また、氏子がいないので、誰も手入れをしていません。」と。この会話で、横田町の稲田神社は、古社ではないことを知ったが、是非、行ってみたかったので、道を聞いて出かけた。神社の近くまで行ったがよくわからないので、野良仕事をしているおばさんに聞いたところ、行き方を教えてくれたあとに「荒れていますよ。」という。 神社に着いてみると、かなり雑草が生い茂っていたが、拝殿・本殿まわりはある程度手入れがされていた。神社の感じは、記憶に残っていた面影とは、合わなかったが、かなり立派なものであった。写真を見ていただきたい。


横田町の稲田神社拝殿(2000.5.13)

本 殿

 笠間市稲田の稲田神社に参拝した後、インターネットでいろいろ調べてみた。 横田町のホームページによると、稲田神社は、「文政年間に創建された小祠を、当町出身の実業家小林徳一郎が新建したもの。」と簡単に記してある。
 横田町観光協会のページでは少し詳しく、「ヤマタノオロチ神話に登場する稲田姫にちなみ、江戸時代後期の文政年間に創建された祠を、昭和初期に小林徳一郎氏(横田町出身、九州小倉の石炭王)が社殿を新築、勧請した神社です。」と記されていた。以外や以外、子供の頃から横田町稲田は、稲田姫の生誕地であり、それ故に稲田神社があると信じていたので、裏切られた思いだった。
 インターネットで「稲田神社」をキーに調べてみると、奇稲田姫が主神で祭られている延喜式内社は、常陸国(笠間市稲田)の稲田神社だけだった。出雲国には、松江市の熊野大社(旧八雲村、式内社)に摂社として稲田神社があるだけである。これに対して、素戔鳴之尊と合祀された神社は、出雲の八重垣神社、京都の八坂神社など全国に散在している。


熊野大社の摂社 稲田神社(2002.08.14)

京都 八坂神社 (2008.02.29)

 そもそも奇稲田姫は、素戔鳴之尊と対になってはじめて存在意義があるので、合祀が一般的な形態と考えられる。
 Kitunoさんのページに<稲田姫神社縁起>が掲載されている。それによると、常陸国の稲田神社の起こりは、奇稲田姫の降臨に由来し、奇稲田姫単独の神社の存在は、特異な形態である。これは、キリスト教からマリア信仰が生まれたことに類似する。
 以上により、稲田神社対する認識が是正されたので、このページを終えることにする。
(2008.06.06)