秋吉台を歩く

 秋芳洞は、是非見たいとは思っていなかったが、カルスト台地の秋吉台は、周囲を見渡しながらできるだけ広い範囲を歩いてみたいと思っていた。
 2011年8月、松江でお盆を過ごしたあと、秋吉台に寄って日立へ帰ることにした。秋吉台へは、山陰線を西行し益田から山口線へ入り新山口で下車し、そこからバスで行くことになる。松江を朝発つとバスの便が悪く秋吉台着は午後になるため秋吉台を広く歩けないので、新山口に夕方着き翌朝秋吉台へ行くことにした。
 8月18日(木)、松江15:04発のスーパーおきに乗車し一路新山口へ。18:51新山口に到着し、駅前の新山口ターミナルホテルに入った。このホテルは、楽天経由の申込で朝食付3980円の格安ホテルである。格安ホテルは、カミソリを置いてないところが多いが、ここは置いてあり、また、朝食は、格安にもかかわらず、数種類の惣菜が用意されたバイキング方式の立派な朝食であった。東横インのオニギリよりもはるかによかった。
 次の日、新山口駅新幹線口(南側)7:40発の秋芳洞行きバスに乗るために2番バス乗場へ行ったところ、すでにバスが来ていたのですぐに乗車し最前列左側の席に座った。乗る前にバスの行き先表示を見ていなかったので、念のため、
「このバスは、"しゅうほうどう"行ですか」と右前の運転手に聞いたところ、
「"あきよしどう"行きです」と別の言葉で答えが返ってきた。
 秋吉と秋芳は、字が異なるので、秋吉台は、"あきよしだい"と読み、秋芳洞は、"しゅうほうどう"と読むものと勝手に解釈していたので、
「正しくは"あきよしどう"と言うのですか」と聞くと、
「そうです。"あきよし"という地名のところにあるので、"あきよしどう"というのです。"しゅうほうどう"と言ってもわかります」と答えてくれた。
 走行中に目に入る道路標識をみると秋芳洞にはすべて"AKIYOSHIDO"とローマ字で併記されていた。
 バスには、秋芳洞見物の観光客が大勢乗るだろうと思っていたが、乗客は5,6人で少なかった。
 最初に停車したバス停は、新山口駅(北側)であったので、「なあんだ、ここで乗ればよかったんだ!」と。 というのは、新山口ターミナルホテルは、新山口駅(北側)の前にあったので、バスに乗るために長い横断歩道橋を歩いて新山口駅新幹線口(南側)へ行ったのである。 乗車すること約45分、8:25に秋芳洞に着いた。料金は、1140円だった。
 秋芳洞入口までは、バス停から500メートルぐらいあるが、観光地らしく、道路の両側にみやげ物屋が並んでいた。朝早かったので、人通り少なかった。秋芳洞の開園時間は、8:30だったので、秋芳洞入口に着いたときは、すでに開園していた。
 事前調査では、秋芳洞を700メートル進んだところで、エレベータで地上へ上がり秋吉台を散策し、帰りは道路を歩いて帰ることにしていたが、入口で聞いたところ、エレベータで地上に上っても、入場券を見せれば、再び洞に無料で入ることができるので、帰りも洞を通ってくださいということだった。
 受付から少し歩くと秋芳洞の入口に着いた。橋を渡って洞内に入ったところ、洞は、驚く

広い洞内
ほど大きかった。以前に秋芳洞を見た妹が、秋芳洞の洞は非常に大きいと言っていたのを思い出した。洞を進むと「百枚皿」「洞内富士」「南瓜岩」「すほ柿」「縮緬岩」「千町田」「大黒柱」「空滝」など次々と鍾乳石のオブジェが現れ、これをカメラに収めながら進んで行った。「幽霊滝」を過ぎると地上へ昇るエレベータがあるところに着いた。ここまでは、入口から約700メートル、左方に約300メートルの黒谷支洞があるので、そちらを見てから地上へ出ることにした。左方へ進むと秋芳洞で最もきれいだとう「黄金柱」があった。その先、「岩窟王」「クラゲの滝登り」「さみだれ御殿」などを見て引き返しエレベータを使って80メートル上方の地上へ出た。
 エレベータ建屋を左に出て、反対方向に緩やかな坂を約5分登るとカルスト台地展望台へ着いた。展望台に登ってカルスト台地を見たところ、"これがカルスト台地か!!"と感動した。雲ってはいたが、起伏の緩やかな広大な草原の中に石灰岩があちこちに点在した眺めはすばらしかった。展望台の右側約50メートルには、秋吉台科学博物館があり無料で公開されていた。


展望台からのカルスト台地を眺める

 展望台でしばし眺めた後、9:30いよいよ秋吉台ハイキング開始である。とりあえず、約2.5km先の「長者ヶ森」まで歩くことにした。


 展望台周りには、沢山の人がいたが、カルスト台地を歩いている人はほとんどいなかった。左右の石灰岩が露出した景色を見ながら歩いて行くと10分程度で「若竹山」へ着いた。そこには人影はなかった。「若竹山」から「長者ヶ森」へ行くには、右側と左側の2ルートがあったが、行きは

長者ヶ森
左側、帰りは右側のルートと決めて歩き出した。この道は、舗装はしてなかったが、車の轍が残る道幅の広い道路であった。45分程度歩いたところで、「冠山」への分岐点に来た。左へ行けば「冠山」、真直ぐ行けば「長者ヶ森」である。目的地は、「長者ヶ森」であるから、真直ぐ道を進むとすぐに「長者ヶ森」の木立が見えてきて、10:37に到着した。「長者ヶ森」は、タブの木、ツバキなどが密集していた。秋吉台でこのように木立が密集しているのは、ここだけであり、人手の介在をうかがい知ることができた。「長者ヶ森」についての現地看板は、ココをクリックして見ていただきたい。
 「長者ヶ森」からすぐに引き返す気にはならなかったので、更に北の方へ行って見ることにした。北の方には「北山」があったので、それに登ってみることにし歩き出した。このあたりは、再生地で歩道以外は歩行禁止の注意看板があちこちに立ていた。「北山」はなだらかな山頂である。ここから今来た方向を振り返ると遙遠くに展望台などの建物を望むことことができた。「北山」から西方をみると「北山」より少し

冠山への道 黒い雲が気になった
高い山があったので、そこへ行ってみることにした。左右に石灰岩を見ながら緩やかな坂を登って行ったが、黒い雲が覆いだし降りそうな気配であった。雷は鳴っていなかったが、もし、雷でも落ちたら一巻の終わりだなと心配になってきた。石灰岩があちこちに居座っている一面の草原であり隠れるところは何もない。心配しながらしばらく行くと「冠山」という看板が立っていた。2万5千分の1の地図には、冠山の表記はなかったので、"なあんだ! ここが冠山か!"と新発見した気持ちだった。地図では、標高377メートルの山である。山頂には、「冠山」という石柱が立っていた。11:20だった。石のベンチがあり若いカップルが座って食事をしていた。

冠山頂上で 背景は地獄台
「若竹山」を出て以来初めて出会った人達である。話しかけてみたところ、二人は夫婦で松本から来たという。奥さんは、山口出身で、秋吉台散策に来たと。
 黒い雲が上空にあるので、ここから引き返すことにし50メートル程度歩いたところで、北側をもっとよく見て写真に撮っておくべきだと思い直し引き返した。元に戻って山頂から北方を見渡したところ、約200メートル先の小山に石柱が見え、その先を先の夫婦が北側左方の山を目指して登っていた。これを見て私も同じルートを行ってみたくなったので歩き出した。幸いに空は少し明るくなってきていた。5、6分歩くと、「天然記念物秋吉臺山ノ地獄臺」という石柱が立っているところに来た。昭和3年の建立である。後から調べてみると、昭和3年に「地獄台」というところが、天然記念物に指定されていた。
 石碑を過ぎて北側左方に見える少し高い山を目指して登り出した。2万5千分の1の地図をネットからコピーして持って行っていたが、「北山」以北は載っていなかったので、何という山かわからなかった。石灰岩を左右に見ながら登って行き頂上に着いたが、頂上は広くてどこが一番高い所かよくわからなかった。頂上をあちこち歩くと笹が腋下まであるとこがあり、一人では段々心細くなってきたので、ここら辺りが一番高いだろうと思うところを頂上とし引き返すことにした。11:27であった。後ほど、展望台横の博物館で聞いたところ、この山が「地獄台」で秋吉台で一番高い山(標高409メートル)であることがわかった。


中央に石碑が見える


地獄台への登り道

 帰りは、再び天然記念物の石碑の横を通り再度「冠山」に登り、「冠山」からは「長者が森」の方へは行かないで「冠山」登山口の分岐点へ直接下りた。分岐点からは、来るときとは反対側の道を通って「若竹山」へ向った。この道は、車が通れない狭い道で葛や笹が茂り通り難い所がいたるところにあった。13:00「若竹山」に着いたがそれまで誰にも会わなかった。「若竹山」からは、博物館を目指して歩き博物館前を通って13:15展望台へ帰ってきた。朝買った水は、「冠山」でなくなっており、かなり喉が渇いていたので、展望台横の店へ行き水を買って喉を潤した。おいしかった。
 この後は、秋吉台科学博物館へ行き展示物を見たあと、地図についていろいろ教えてもらった。14:00、帰るために再び洞に入り洞内を通って入口へ戻りバスに乗って新山口駅へ。
 この日は、湯田温泉のスーパーホテルに宿泊した。このホテルのすぐ横に、大衆温泉「亀の湯」があったので、200円(ホテル宿泊のため安い、通常は340円)支払ってゆっくり温泉につかった。このホテルは、「ゴールデン60歳プラン」で朝食付3480円、朝食は立派なバイキングであった。
 翌日は、防府市の毛利氏庭園を見て日立に帰った。