諏訪大社参拝

 諏訪は、高島城見学で立ち寄ったことがあり、また、甲斐や信濃のお城巡りで何回も通過しているが、時間の関係で諏訪大社参拝はしていなかった。お城巡りもほゞ終ったので、諏訪大社に参拝することにした。
 諏訪大社には、大国主命の長男である建御名方命(たけみなかたのみこと)が祀られており出雲系の神社である。しかし、Net の Wikipedia によると、「本来の祭神は出雲系の建御名方ではなくミシャグチ神、蛇神ソソウ神、狩猟の神チカト神、石木の神モレヤ神などの諏訪地方の土着の神々であるとされる。」とあり、また「記紀神話が伝えるところでは、天照大神の孫、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の降臨に先立ち、武甕槌命(たけみかづちのみこと)が、出雲を支配していた大国主命に国譲り、つまり出雲王朝の支配権を譲渡するように迫ったという。これに対して、大国主の長男である建御名方命が、国譲りに反対し、武甕槌命と相撲をしたが負けてしまった。そこで建御名方命は諏訪まで逃れ、その地で王国を築いたという。諏訪大社の起源は、この神話にあるといわれている。」とあり、いろいろないわれがあるようだ。
 水戸線の福原駅の近くに出雲大社の常陸分社がある。この神社は、出雲大社と諏訪大社を結ぶ延長線上に建立されたとある。これを考えると出雲、諏訪、常陸は、神様の糸で繋がれているように思えてくる。
 さて、参拝行程だが、日立または松江を朝発って諏訪で1泊するスケジュールでは、ゆったりと参拝できない。そこで、諏訪に夕方着いて1泊し、次の日に、上社、下社に参拝し、時間があれば、諏訪氏の城、上原城址、桑原城址を見学し諏訪でもう1泊することにした。インターネットで格安ホテルを探したところ、茅野市に和室3000円、洋室3200円という「ちの旅館」が見つかった。電話したところ、洋室2食付で4700円という破格の値段が返ってきたので、9月27日、28日と予約した。
 9月27日、8時前の特急やくもに乗車するために松江駅へ行き、改札口へ行ったところ、「やくもですか、もう出ますよ、もう間に合いません」と改札員が制止するも、これを振り切って走ってホームへ行ったが間に合わなかった。これには、まいった。通常、松江発は、5時58分か6時59分のやくもに乗っていたので、スケジュール表に書いておきながら、8時前のやくもも同じような時刻だろうと思って、時間を確認していなかった。この特急のみ7時51分だったのである。思い込みを大いに反省した。
 このため1時間後の8時58分のやくもに乗車するしかなかった。この特急ならば、岡山でレールスターさくらに乗り、新大阪で6分でこだまに乗り換え、名古屋で4分で特急しなのに乗れば、当初のスケジュールどおりに茅野に着くことができる。乗り換え時間がすくないので、降りるとき、できるだけ乗降階段に近いところを狙って車両を移動して降車し、予定通り茅野に着くことができた。
 「ちの旅館」は、新しい建屋で、部屋は、格安にしては立派だった。通常、格安ホテルは

ちの旅館
、カミソリは置いてないが、ここは置いてあった。LANも通っており、インターネットに接続できたが、メールの受信は、できるが送信ができなという問題に見舞われた。解決を宿のおばさんに頼んだところ関係先に電話してくれたが、埒が明かなかった。仕方がないので、送信は、Yahoo!メールで代行した。後日、この原因は、セキュリティにかかわる設定の問題であることがわかった。
 夕食は、焼肉が出たが、まずまずの夕食であった。生ビールは、中450円で安かった。
 28日7時朝食、格安にしては、卵焼、のり、納豆、焼魚などが付いた立派な朝食だった。
 7時40分、旅館の無料自転車を借りて、上社へ向って出発した。旅館から北に進み国道152号へ出て、西に走り県道16号にぶつかる三叉路に着いた。8時であった。左へ行けば、上社前宮、右に行けば、上社本宮である。まずは、前宮へ向った。前宮は、ごく普通の田舎の神社という感じであったが、異なっているのは、4本の御柱が立っていたことである。朝早かったので、参拝客は、近所の人と思われるおばさん一人であった。


前宮


前宮の一の御柱

 前宮を参拝した後、県道16号を西に進み30分で本宮に着いた。自転車を駐車場に置き、東参道から入った。鳥居をくぐると長い廊がありそれを進んで行くと、四脚門(勅旨門)、塩害門の前を通り入口門に着き、この門から内部に入った。


本宮東参道


国重文の四脚門

 右手に受付があり、左手奥が拝殿である。左に曲がり拝殿に進むと右手に神紋の穀(かじ)の木が植わっていた。進むと参拝所である。参拝所でかしわ手を打ち参拝した。参拝所の先は、斎庭であるがここには入れない。斎庭の先の中央に拝殿があり、右手が左片拝殿、左手が右片拝殿になっていた。左片、右片は、神様から見た位置である。拝殿の奥が幣殿でその奥が神居で木立が茂っていた。本殿はない。拝殿、幣殿は、大きくはないが立派であり国の重要文化財になっていた。 入口門を出た後、目の前の北参道へ出て振り返り本宮の全景を眺めた。ここからは、神柱の一の柱が目の前であった。


参拝所


拝殿




本宮北参道


一の御柱

 帰りは、東参道の北側を進み右手に天流水社、五間廊、勅旨殿を見ながら東参道へ戻った。
 再び自転車に乗りもと来た道県道16号をたどり旅館へ向ったが、途中遙か北西方向に八ヶ岳連峰が見えた。


八ヶ岳遠望

 国道152号との三叉路を200m程度進んだところで、ズボンの右ポケットに入れていたカメラがなくなっていることに気付いた。途中で落としたことには間違いがないので、最後に写真を撮ったところまで引き返したが、発見できなかった。非常に陰鬱であった。見落としただろうと思って引き返すと三叉路の歩道の上に落ちていた。ホッとした。通行人がいなかったのが幸いだった。誰かが拾い警察に届けてくれたとしても大変だった。カメラをズボンのポケットに入れるのはやめショルダーバッグに入れ旅館に向った。旅館に着いたときは、9時半だった。前宮、本宮参拝は、わずか2時間、自転車利用の効用である。旅館に自転車を置いて歩いて茅野駅へ行き、下社参拝のため中央線で下諏訪へ向った。
 下諏訪には、レンタルサイクルがあることをインターネットで知っていたので、ここでも自転車を使うことにした。駅前で見渡してもレンタルサイクル屋が見えないので、売店で聞いたところ、駅前を直進し突き当たったところにあると言うのでそこへ向った。レンタルサイクル屋には、感じのよいおじさんがいて、いろいろ説明してくれた。代金は、1時間100円で安くしかも電動補助自転車であった。電動補助自転車は、以前に福井県の東小浜駅で乗ったことがあり、快適だったことを記憶していたので、これはありがたいと喜んだ。 下諏訪の下社には、春宮と秋宮があるが、まず東方の秋宮を目指した。秋宮は、大きなお宮で参拝者も多かった。神楽殿は、修理中で覆いが被さっていた。神楽殿の奥は、幣拝殿である。これは、重要文化財になっていた。


秋宮入口


秋宮幣拝殿

 秋宮を参拝した後は、春宮へ向った。春宮は、秋宮より少しスケールが小さく、参拝者も少なかった。春宮の幣拝殿も国の重要文化財になっていた。


春宮入口


春宮幣拝殿

 春宮の北方に「万治の石仏」があるとの案内板があったので行ってみた。この石仏の縮小コピーは、下諏訪駅の改札口にも設置されており何故有名なのかよくわからい。現地に「万治の石仏と伝説」という看板があったので、ココをクリックして読んでいただきたい。


万治の石仏

 春宮に参拝した後は、レンタルサイクル屋に戻ったが、諏訪湖を一見したくなったので、おやじさんに路を聞いて諏訪湖へ向った。この5、6年の間、諏訪は何回も通っており車中から諏訪湖をわずかに眺めることはあったが、諏訪湖畔に出て諏訪湖を見ることはなかった。湖畔に立つのは、学生時代に八ヶ岳に登った帰り以来である。振り返ってみれば、約50年ぶりである。昔よりも湖岸がきれいに整備されているように思えた。


諏訪湖

 諏訪湖を見た後は、レンタルサイクル屋へ戻り自転車を返したが、利用時間は、約1時間40分、2時間以内なので、200円だった。おやじさんに安いねと言ったら、町立で観光が目的なので、儲ける必要はないんだよと言っていた。この後、中央線に乗り茅野に戻ったが、12時45分だった。諏訪大社参りは、約5時間であった。
 旅館で再び自転車を借用し武田信玄に滅ばされた諏訪氏の城であった上原城址と桑原城址の見学に向った。城址を見終わって旅館に着いたのは、16時40分だった。諏訪大社参拝と城址見学で9時間を要したことになる。自転車利用のお陰である。通常行なっているバスと徒歩では、こうはいかなかった。