三徳山三仏寺国宝投入堂拝観


 国宝建造物巡りを始めてどんどん進行して行ったが、三徳山投入堂は、交通の便が悪いため後回しにしていた。国宝建造物巡りも終盤に近づいたので、そろそろ三徳山へ行こうとインターネットで調べたところ、三徳山は、危険なため一人での入山は、許可されないとなっていた。これにはまいった。鳥取県東伯郡三朝町まで同行してくれる人は簡単には見つからない。
 2011年8月、大阪にいる妹と電話でいろいろ話し、10月の適当な時期に松江へ行き、一緒に三瓶山へ登った後、大阪への帰りに妹の車で三徳山へ寄ることにした。入山時に靴の裏側をチェックされるのが気になっていた。今履いているウオーキングシューズは、滑りやすいため新たにミズノのウオーキングシューズを購入した。
 三徳山三仏寺は、Wikipediaによると次のように説明されている。
「三仏寺(さんぶつじ)は鳥取県東伯郡三朝町にある天台宗の仏教寺院で、山号を三徳山(みとくさん)と称する。
 開山は慶雲3年(706年)に役行者が修験道の行場として開いたとされ、その後、慈覚大師円仁により嘉祥2年(849年)に本尊釈迦如来・阿弥陀如来・大日如来の三仏が安置されたとされる。
 鳥取県のほぼ中央に位置する三徳山(標高900メートル)に境内を持つ山岳寺院である。古くは三徳山全体を境内とした。「投入堂」(なげいれどう)の通称で知られる奥院の建物は、垂直に切り立った絶壁の窪みに建てられた他に類を見ない建築物で、国宝に指定されている。また、三徳山は昭和9年(1934年)7月7日に国の名勝、史跡に指定された。」

 10月28日朝、車で松江を発ち10時半頃三徳山三仏寺の駐車場に着いた。
 以降は、写真によって紹介する。


三仏寺は、県道21号線から急峻な石段を登った上に位置していた。

石段を登って行くと受付があり、ここで入山料400円/人を払って入山した。
受付から中に入って行くと左手に皆成院、右手に正善院、また左手に輪光院とあり、その後石段を登ったところに宝物殿があり、更に石段を登った右手に「三仏寺」という看板が掛った建屋があった。右の写真がそれである。

左手遠方に本堂があった。ここでお参りして右方奥にある登山受付へ。
登山受付所である。ここで登山料200円/人を支払い、登山登録し、靴の裏をチェックされた。

登山の入口である。この門を入り赤い橋を渡ると険しい登山道が続いていた。

すぐに急峻な根っ子の道に出くわした。写真でみると緩やかに見えるが、手を使わないと登れない。これを見て「たいしたことはないはず」という思い込みをリセットした。

こういう根っ子の道が続いており、「かずら坂」という名がついていた。写真では、目立たないがかなり急峻である。
まもなく国の重要文化財である文殊堂が見えてきた。目の前の急峻な坂を登らなければならない。

文殊堂の舞台の基礎部に辿り着いたところに「クサリ坂」があった。クサリを使って登って行くことになる。
登ってから写真を撮ろうとするも左右に移動できないため屋根しか撮れなかった。文殊堂では、縁側を一周し遠景を鑑賞した。手すりがないので、緊張した。

文殊堂を過ぎると鐘楼堂である。先へ行くためには、鐘楼堂の中に入り背を低くして石を渡って行かなければならない。
すぐに国の重要文化財である地蔵堂に着いた。ここでも縁側を一周し遠景を鑑賞した。

このような石の道もあった。
しばらくすると左手に納経堂、右手に観音堂が見えてきた。
納経堂である。国の重要文化財になっている。

観音堂である。正保5年(1648年)、鳥取藩主池田光仲により再建されたという。町指定保護文化財と表示されていた。
観音堂を抜けると小さな元結掛堂があり、その先に「←投入堂」という看板があり投入堂の近くに来たことをさとった。

「←投入堂」の看板から30メートル程度進むと投入堂が見えてきた。右手に見えるのは、不動堂である。
 

国宝投入堂(平安時代後期の建立)、左奥は愛染堂(国宝の附)

 登山受付所から投入堂まで700メートルとのことで長くはないが、かなり険しい登山道であった。落下で複数の死者が出ているので、一人での登山禁止というお寺の対応には止む終えないと思った。入山者の多くは、トレッキングシューズを履いていたので、難所であることが知れ渡っているようだ。

 下山時は、難所の写真を撮ったので、見ていただきたい。

登ってくる人


下りてくる人

登る人


下りる人