美作国一宮 中山神社

 2012年4月11日18時から、東京日本橋で高校のミニ同窓会があったので、同窓会が終わった後、東京駅22時発の夜行寝台列車サンライズ出雲で岡山へ、岡山で津山線に乗り換えて津山へ行き、美作国一宮である中山神社に参拝した。サンライズ出雲号には、特急券だけで寝台券のいらない横になって寝ることができる「ノビノビ座席」がある。このノビノビ座席は、一度利用してみたいと思っていたので、丁度よい機会であった。
 ノビノビ座席は、上下二段になっており、私の席は上段であった。座席と言っても板の上に安物の無地のカーペットが敷いてあるだけであるから、座るとしばらくするとお尻が痛くなる。薄い掛布団が置いてあったが、枕はなかった。枕を準備すると寝台車とみなされるので置かないとのことである。枕がないことは、わかったいたので、事前に空気枕を購入しておいた。
 空気枕を使い、薄い掛布団をかけて就寝に入ったが、板の上なので背中やお尻や踵など荷重のかかるところが痛くなり、すぐに目が覚めてしまった。この繰り返しでほとんど睡眠はとれなかった。このノビノビ座席の車両には、トイレは付いているが、洗面所が付いていないのである。朝下車する前に髭をそろうとしたができなかった。これは酷い。ノビノビ座席は、安かろう悪かろうである。やはり寝台車でないとダメだと反省した。

 美作国一宮である中山神社は、式内社(名神大社)で、岡山県津山市一宮695にあり、津山駅から北へ約6kmのところである。
 12日朝、津山に7時52分に着いた。津山には、レンタルサイクルがあるので、これを利用することにしていた。貸出は、観光案内所で8時30分からであったが、8時20分には、案内所が開いたので、すぐに自転車を借用して北に向かって走り出した。津山には、2006年8月4日、津山城見学で訪れているので、見慣れた町という感じであった。
 右手に津山城跡、津山市役所などを見ながら30分走ったところで、鳥居が見え神社入口に着いた。この鳥居は、「中山鳥居」と呼ばれ貫が貫通していないのが特徴であるという。鳥居をくぐると参道が、真っ直ぐ伸び快晴の空とよく映えていた。参道を進むと右手に神社の案内看板があり下記が記されていた。
『 中山神社は、慶雲4年(707)の創建と伝えられる美作国の一宮です。『延喜式』にも載せられた式内社で、『今昔物語』には「今昔、美作国ニ中参(中山)・高野卜申神在マス。」と記され、『一遍上人絵伝』にも弘安9年(1286)の春に一遍上人が美作一宮(中山神社)に詣でた様子が描かれるなど、古来より広くその名を知られていました。』
 ご祭神は、鏡作神を主祭神とし、相殿に天糠戸神(あめのぬかどのかみ)・石凝姥神(いしこりどめのかみ)を祀っている。
 参道を進むと神門の前には、狛犬さんが左右に配置されていたが、この狛犬さんは、他の神社のものとかなり異なっていた。犬というより猿に近い。狛犬さん"あ"、狛犬さん"ん"と言うより、狛猿さん"あ"、狛猿さん"ん"と言いたくなった。Wikipedia によると「『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』では、当社の祭神は猿神であるとされている。」とあるので、この辺に由来しているかもしれない。
 狛犬さんを過ぎると、神門である。神社の説明看板によると、この神門は、もと津山城二ノ丸の四脚門で、廃城後の明治7年(1874)にこの神社に移築されたものであるという。重厚な造りで如何にも城門らしい。四脚門と書いてあったが、造りを見たところ薬医門であった。お城巡りのとき、移築城門があると必ず見に行っていたが、津山城見学のときは、遠いので省略したようである。


神社入口の鳥居

参道

風変りな狛犬さん"ん"

風変りな狛犬さん"あ"

神門

神門の構造 この構造は薬医門

 神門を入っていくと、正面に中門、拝殿、本殿と続いている。右手は、社務所、左手は、神楽殿と惣神殿があった。この神社は、尼子氏の美作攻略のとき兵火により焼失したが、永禄二年(1559年)尼子晴久によって再興された。本殿は、国指定の重要文化財になっている。


中門と拝殿

本殿

左前から

本殿を背後から

 拝殿前で参拝後、神社境内をゆっくり拝見した。

 参拝終了後は、来た道を帰った。観光案内所では、帰りは県道68号を通って途中の美作総社宮を参拝したがよいと言われていたが、津山城の桜が満開のようなので、これを見ることにした。津山城裏門で300円を払って入場し約30分本丸を中心に桜を鑑賞した。


津山城裏門

石垣と桜

復元された備中櫓と桜

桜群 左は備中櫓

 津山城の桜を鑑賞した後、津山発10時11分の新見行きのディーゼル車に乗車し松江へ向かった。(2012/05/08)