遠江国一宮 小國神社、事仁八幡宮


 遠江国一宮は、2社あり、小國神社(おぐにじんじゃ)と事仁八幡宮(ことのままはちまんぐう)である。
 小國神社の所在地は、静岡県周智郡森町一宮3956−1で、祭神は、大己貴命である。Wikipedia には『「小国」という社名は、出雲の「大国」に対する遠江の美称であるとしている。』とあった。
 事仁八幡宮の所在地は、静岡県掛川市八坂642で、祭神は、己等乃麻知媛命(ことのまちひめのみこと)である。
 2012年3月20日、三河国一宮の砥鹿神社社を参拝した後、遠江国一宮の2社を参拝したが、天竜浜名湖線や掛川バスの運行数が少なく時間配分がうまくいかなかった。時間つぶしに掛川城跡を再見学したり、森町では時間がないのでタクシーを利用した。

小國神社
 三河国一宮の砥鹿神社神社を参拝した後、普通列車で掛川に着いた。当初は、天竜浜名湖線の円田で降りて歩いて小國神社に参拝しようとしたが、うまく時間配分ができないので、遠州森で下車しタクシーで小國神社へ行くことにした。掛川発13:52の気動車に乗り遠州森に14:16に着くとすぐにタクシーで小國神社へ向かい、神社に着いたのは、14:28であった。円田発15:25の気動車に乗るためには、ほとんど時間がなかったので、大急ぎで参拝した。
 神社入口の鳥居の前でタクシーから降りたが、この日は、ちょっとしたお祭があったようで参拝者は多かった。見渡したところ、田舎にしては大きな神社だなあと感じた。鳥居をぐくって参道を進んで行った。杉林の中を真っ直ぐに伸びた参道は神社らしい雰囲気を醸し出していた。左手に「事待池」という池があり「本社に詣で願掛けをして心願成就すれば池に鯉を放つので「ことまち池」という 又池の水を汲み「いぼ」に付けると「いぼ」がとれるというので「いぼとり池」ともいう」という説明看板があった。
 進んで行くと神社の全容がほゞ見えてきた。神門はなかったが、通常は神門がある位置に重厚な鳥居があった。


入口の鳥居

杉林の参道

左手の事待池

神社の全景が見えてきた

 鳥居をくぐって正面に拝殿、右手に舞殿があり、左手は祈願受付所及神札授与所になっていた。拝殿でお参りした後、本殿を拝見しようとしたが、残念ながら屋根しか拝見できなかった。


拝殿

右手の舞殿

拝殿左側から本殿の屋根が見える

本殿の屋根

 参拝を終わり入口の鳥居のところに戻ってきたときは14:41で、参拝時間はわずか12分であった。
 時間がないので、すぐに円田駅に向かって歩き出した。神社から円田駅まで約4km、地図を見ながら歩いたが、あちこち道路工事をしており地図通りでないため道を聞きながら歩いた。汗をかきながら大急ぎで歩いたところ5分の余裕をもって15:20に円田駅に着いた。4kmを40分で歩いたことになる。この後は、事仁神社参拝である。

事仁八幡宮
 森町の小國神社を参拝した後、天竜浜名湖線で掛川に戻り、掛川バス東山線のバスに乗り八幡宮前で下車した。16:20であった。バス停のすぐ近くに神社入口の太鼓橋があり、太鼓橋を渡ると参道が伸びでいた。この神社は、田舎の普通の神社という感じであった。


バス停から入口を見る

参道

 参道を行くと左手に金刀比羅神社、稲荷神社と続き一番奥の左手に事仁八幡宮があった。


事仁八幡宮

 鳥居の横に由緒書きあったので、以下に転記しておく。
 『創立年代未詳 大同二年(八○七)坂上田村麻呂東征の際 桓武帝の勅を奉じ 旧社地本宮山より現社地へ遷座すという延喜式(九二七)神明帳に佐野郡己等乃麻知(ことのまち)神社とあるはこの社なり 古代より街道筋に鎮座 遠江に座す願いことのままに叶うありがたき言霊の社として 朝廷を始め全国より崇敬されしことは平安朝の「枕草子」に記載あるを見てもあきらかなり
 世が貴族社会より武家社会に移るや八幡信仰が一世を風靡し 康平五年(一〇六二)源頼義が石清水八幡宮を当社に勧請し 以来八幡宮を併称す
 江戸期に入りては 徳川幕府も当社を信仰し社殿を改築 朱印高百石余を献上す 明治以降 県社八幡神社と称せしが 第二次大戦以後の社格廃止に伴い 由緒ある名「事仁(ことのまま)」を復活し現在は 事仁八幡宮と称す』
 鳥居をくぐって石段を登り拝殿で参拝した。参拝後、拝殿を右に回って本殿を拝見した。


拝殿

本殿

 バス停の向かい側に本宮山の奥社へ上る道があったが、バスの時間が迫っており本宮山へは行かなかった。
 この神社の境内では、「一宮」という字は見かけなかったし、ホームページにもこの神社が「一宮」であるという記載はない。しかし、一宮会には入っている。
 この日は、掛川駅近くの東横インに宿泊した。(2012/05/31)