若狭国一宮 若狭彦神社

 若狭彦神社には、上社と下社があり、上社を若狭彦神社、下社を若狭姫神社と云う。上社は、東小浜駅南方約2km、下社は、650mのところにある。下社は、駅に近いこと、また神社のお祓いなど社務所業務は、下社で行っているので、下社は参拝客も多く、整備も上社より行き届いている。よって、ここでは、下社の若狭姫神社から記載する。

若狭姫神社(下社)

 若狭姫神社の所在地は、福井県小浜市遠敷65-41で、上にも記したが東小浜駅南方650mのところにある。
 式内社(名神大社)で、旧社格は国幣中社である。主祭神は、豊玉姫命である。
 この神社の境内内の由緒書きは、境内入口に簡単な記述がある。これを別ページで紹介する。

若狭姫神社由緒

 Wikipediaの概要には、以下の記述がある。
 「若狭彦神社は畳・敷物業の神ともされ、現在はインテリア関係者の信仰も集める。若狭姫神社は安産・育児に霊験があるとされ、境内には子種石と呼ばれる陰陽石や、乳神様とよばれる大銀杏などがある。」

 2012年9月17日朝、敦賀駅を出発し東小浜駅へ向かった。東小浜は、2回目の訪問である。2010年5月に明通寺の国宝建造物を見に来ている。このときは、電動自転車を借りて乗ったが実に快適であったので、今回も電動自転車を借用した。
 東小浜駅から県道145を南下すると、すぐに道路沿いに境内入口が見えた。

 境内に入って行くと木製の鳥居があり、左側に手水舎、右手に社務所があった。


木製の鳥居

 進んで行くと随神門がり、随神門を出ると右手に能舞台があった。

 正面には、神門と本殿が見えた。神門前に行き参拝した。

 参拝後、右方へ進み本殿を拝観し、本殿の裏を廻って左側からも本殿を拝観した。

 下社の若狭姫神社の参拝が終わると、県道145を南下し上社である若狭彦神社へ向かった。

若狭彦神社(上社)

 若狭彦神社の所在地は、福井県小浜市龍前28-7で、東小浜駅の南方約2kmのところにある。
 『延喜式』神名帳では若狭国遠敷郡に「若狭比古神社二座 名神大」と記載され、2座が名神大社に列している。
 中世には上社が若狭国一宮、下社が二宮とされていた。
 主祭神は、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと) - 「若狭彦神」として祀ている。
 この神社の由緒は、下社と同じであるが、上社の境内に少し詳しい記載があったので、載せておく。

若狭彦神社由緒

 2012年9月17日、下社の若狭姫神社を参拝した後、県道145を南下し約1.4kmて行くと、神社の道標が見えてきた。道標どおりに右折した先に神社があった。

 閑散とした田舎の神社という感じであった。境内に入ると参道が続いており先方に二本の杉の木があったが、これを二の鳥居と考えていると。

 二ノ鳥居を過ぎて行くと随神門があり、随神門を出ると前方に社殿があった。

 左手に手水舎ではなく「手水」があった。「伏水の幸(甘泉)」と書いてあった。ここで手を清めた後、神門に近づいて行くと二人の参拝客がいた。境内に入ったときは、人影は見かけなかったので少々驚いた。

 神門前で参拝した後、神門越しに本殿を拝観した。その後、右手から本殿を拝観した。

 参拝が終わった後は、せっかく東小浜に来たのであるから、すぐに戻らないで、明通寺、神宮寺、万徳寺を見学した。
 明通寺は、以前に見学したが、その時は、国宝の三重塔が修理中であったため見れなかった。
 神宮寺は、元正天皇の勅願により奈良時代は和銅7年(714年)、若狭国一の宮(若狭彦神社)の神願寺として泰澄大師の弟子沙門滑元による開創されたと伝わる。
 万徳寺は、天然記念物の大山モミジを借景とする名勝枯山水庭園で知られるという。

 3寺の見学後は、東小浜駅に戻り敦賀へ向かった。敦賀では、越前国一宮の氣比神宮参拝である。  (2017/10/29)

まとめ表に戻る     掲載順に戻る