薩摩国一宮 新田神社、枚聞神社

 薩摩国一宮は、2社ある。新田神社は、式内社ではなく、一方枚聞神社は、式内社であるから、正規の一宮は、枚聞神社だと考えたが、Wikipediaに次の記述があった。
 「蒙古襲来(元寇)で、鎌倉幕府は各国の一宮と国分寺に蒙古調伏の祈祷を命じ、各国の守護に一宮への剣、神馬の奉納を命じた。薩摩国では枚聞神社と新田神社の間で一宮相論が起こっていたため、島津氏(忠宗)は、一宮の決定とは無関係としながらも 剣、神馬を新田神社(同族の執印氏側)に奉納する。これは事実上一宮は新田神社と認める行為で、一宮相論は決着し、古来から一宮であった枚聞神社から新田神社へと一宮が移ることになるが、最終決定がされておらず、薩摩国に一宮が二つ存在することになる。」

新田神社

 新田神社の所在地は、鹿児島県薩摩川内市宮内町1935-2で、JR川内駅の北東、直線距離で約2.4kmのところにある。
 『延喜式神名帳』に記載がないので式内社ではない。旧社格は国幣中社である。主祭神は、境内の看板によると次のようになっていた。
 ・本祀一座 天津日高彦火邇邇杵尊
(あまつひだかひこほのににぎのみこと)
 ・配祀二座 天照皇大御神
       正哉吾勝々速日天忍穂耳尊

 境内に由緒書きはなかったが、社殿の説明図があったので、載せておく。社殿の構造は、他の神社とかなり異なっている。

新田神社社殿説明

 2012年11月の松江の母見舞いの帰りには、南九州の一宮巡りをすることにした。旅費を安くするために、常陸多賀から岡山経由で松江へ、松江から山陰本線、山口線で新山口へ、新山口から博多、川内、鹿児島へ、鹿児島から日豊線で北上し宮崎県の都農へ、都農から引き返し宮崎へという経路で「連続乗車券」を購入した。
 2012年11月16日、松江駅発6:15の特急スーパーおき に乗車し新山口へ、新山口から新幹線を乗り継いで川内へ、到着時刻は、13:28だった。5年も経過しているので、川内駅からどのような方法で新田神社や行ったかなかなか思い出せなかった。当初の計画は、オレンジ鉄道で上川内まで行き、そこから約1.1kmを歩くか、あるいは、川内駅から「くるくるバス」に乗車し「新田神社前」で下車するかであった。ただし、「くるくるバス」は、約1時間待ちであった。
 撮った写真を見ると、「外苑入口」というバス停を撮っていたので、どうやら当日、川内駅の観光案内所で新田神社行きを聞いて、いわさきバスか南国交通のバスで「外苑入口」まで行きそこから歩いたようだ。「外苑前」バス停から神社まで写真を15枚撮っていたので、この写真をgoogle earthで確認したところ、歩行経路を完全に再現することができた。歩行経路を紹介することはしないが、google earth を使うと過去の様子をかなり正確に知ることができるようになり便利になった。
 以下は、神社参拝の紹介である。川内駅は、初めての下車であった。

 川内駅前からバスに乗り「外苑前」で下車し西方にある神社に向かった歩き出した。「外苑前」バス停から立派な朱色の鳥居見えるところまでは、14分かかっていた。鳥居には、説明看板がありこの鳥居は、二ノ鳥居とあった。一ノ鳥居は、振り返ったはるか先にあるようだった。二ノ鳥居の先は、石造りの「降来橋」であった。

 降来橋を渡ると石段になっていたが、石段の少し上の左右に神社があった。右側は、「東門守神社」、左側は、「西門守神社」であった。石段を昇ると広場がありそこには、末社が3社(早風神社、中央神社、高良神社)あった。

 この先は、また、石段である。

 石段を昇って行くと正面に勅使殿が見え、右には、神木の巨大な楠があった。目通り(幹周り)9.9mと書いてあった。

 石段を昇りきると目の前は、勅使殿である。新田神社の社殿の構造は、他の神社と少々異なるので配置図を見ていただきたい。

社殿配置図

 勅使殿に入り参拝した後、東回廊に入った。

 東回廊から舞殿、拝殿、本殿を拝観した。

 神社の裏には、瓊瓊杵尊の陵といわれる「可愛山陵(えのやまのみささぎ)」がある。この山稜は、宮内庁の管理になっていた。

 参拝が終り二ノ鳥居に戻ったが、一ノ鳥居を見たくなったので、長い参道(約650m)を歩いて一ノ鳥居まで行った。

 帰りは、二ノ鳥居の近くにあるバス停「新田神社前」から「くるくるバス」に乗車し川内駅に戻った。この夜は、スーパーホテル川内(\3,480)に宿泊した。翌日は、開聞岳に近い枚聞神社参拝である。

枚聞神社

 枚聞神社の所在地は、鹿児島県指宿市開聞十町1366で、開聞岳の北北東、直線距離で約3.2kmのところにある。
 式内社(小社)で、旧社格は国幣小社である。主祭神は、大日孁貴命(おおひるめむちのみこと)(天照大御神)である。

 境内に沿革の説明看板があったので、載せておく。

枚聞神社沿革

 2012年11月16日、川内の新田神社を参拝した後、川内のビジネスホテルに宿泊した。翌日の17日、川内から快速オーシャンライナーで鹿児島中央へ、鹿児島中央から普通列車で開聞駅を目指した。この日の天気は、雨模様でよくなかった。雨模様の山川湾を見ていただきたい。開聞岳がよく見える駅で運転手が下車を許可してくれたので下車して写真を撮った。この時が一番雲が少なかった。天気がよければ、開聞岳へ登るつもりでいたが、雲がかかっており登っても見晴らせないので、登山は諦めた。

 列車は、12:04に開聞駅に着いた。開聞駅から神社までは、徒歩で約800mである。開聞駅から国道226に出て開聞岳を見ながら東に向かった歩いた。この時の開聞岳は、かなり雲を被っていた。

 開聞十町交差点で左折し県道28を北上した。しばらく歩くと枚聞神社の看板が立っており神社到着を確認した。神社の入口は、北側にあるので、神社の横を歩いて行った。

 神社の入口に着いた。鳥居などは、朱色に塗られており華やかであった。境内に入って進むと二ノ鳥居があり左手前に手水舎があった。二ノ鳥居の両サイドには、門神が置かれていた。

 二ノ鳥居をくぐると中央に勅使殿、左右に長庁があった。

 勅使殿の横を進むと勅使殿の後ろに拝殿があったので、ここで参拝した。参拝後本殿を拝観しよつとしたが、屋根が見えただけだった。

 上の写真は、正面の写真ばかりなので、斜めから撮った写真を載せておく。

 参拝後は、鹿児島中央に戻った。この日は、B&Bパークホテル鹿児島(\3,950)に宿泊した。次の日は、大隅国鹿児島神宮参拝である。 (2017/11/12)

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