信濃国一宮 諏訪大社

 諏訪大社(すわたいしゃ)は、長野県の諏訪湖周辺4か所にある神社で、以下の二社四宮の境内が鎮座する。
 ・上社 (かみしゃ)
  ・本宮 (ほんみや)(諏訪市中洲宮山1)
  ・前宮 (まえみや)(茅野市宮川2030)
 ・下社 (しもしゃ)
  ・秋宮 (あきみや)(諏訪郡下諏訪町5828)
  ・春宮 (はるみや)(諏訪郡下諏訪町193)

 式内社(名神大社)で、旧社格は官幣大社である。
 主祭神は、下記2柱である。
  ・建御名方神 (たけみなかたのかみ)
  ・八坂刀売神 (やさかとめのかみ)

 本宮境内に簡単ではあるが、由緒書きがあったので、掲載しておく。

諏訪大社御由緒

 Wikipediaによると『本来の祭神は出雲系の建御名方ではなくミシャグチ神、蛇神ソソウ神、狩猟の神チカト神、石木の神モレヤ神などの諏訪地方の土着の神々であるという説もある。』とある。
 また、Wikipediaには、次の記載がある。『当社には本殿が設けられていない。本宮は拝殿後背の守屋山、秋宮はイチイの木、春宮はスギの木を神体とし、拝殿からそれらを拝する。なお、前宮は古くは上社摂社であった関係で本殿を有している。』と。

 この諏訪大社参拝については、「国内旅行」の中で2011.11.14に「諏訪大社参拝」として掲載している。しかし、これは旅行記であり、一宮巡拝として記載していないので、ここであらためて一宮巡拝記として記載する。

 2011年夏頃までには、それまで実施してきたお城巡りもほゞ終わったので、諏訪大社に参拝することを考えた。諏訪大社は、4ヶ所もあるので、前日に諏訪入りし、翌日全日を使って参拝することにした。時間が余れば、信玄に滅ばされた諏訪氏の上原城、桑原城を見学しようと思った。
 参拝は、前宮→本宮→秋宮→春宮と廻ったので、この順で記載する。

上社前宮参拝

 2011年9月27日、松江を発ち、夕方には、茅野に着き、「ちの旅館」(格安二食付き4,700円)に宿泊した。
 翌28日7:40、旅館の無料自転車を借りて、上社へ向って出発した。旅館から北に進み国道152号に出ると西に向かって走って行くと県道16号にぶつかる三叉路に着いた。8時であった。左へ行けば、上社前宮へ、右に行けば、上社本宮である。まずは、前宮へ向った。 200m余走ると前宮前に着いた。道路の左側は、駐車場になっており、右側は、すぐに一ノ鳥居があった。一ノ鳥居をくぐって100m程度進んで行くと二ノ鳥居があった。二ノ鳥居の左先には十間廊があった。上社の例祭「御頭祭」で使われるようだ。右先には、内御霊殿があった。

 二ノ鳥居から100m余進むと拝所の木立の前に来た。木立の中に入って行くと拝所があり、拝所で参拝した。

 拝所の透かし塀から本殿を拝観した。更に右に廻って本殿を拝観した。

 諏訪大社の特徴は、御柱である。4柱あるが、第三と第一を載せておく。

 前宮の参拝が終わると本宮へ向かった。

上社本宮参拝

 前宮の参拝が終わると、県道16号を北西に進んで行くと左方への分岐があり、案内板は、本宮は左方とあったので、左方へ進んで行くと道中に鳥居があり、鳥居をくぐって進んで行くと西参道の鳥居が見えてきた。鳥居手前右側には、手水舎があった。時刻は、8:30だった。
 鳥居をくぐると目の前は入口門(国重文)だった。

 本宮には、いろいろな建物があり説明が困難なので、境内にあった境内案内図を載せておく。


案内図
(上の画像をクリックすると大きな画面で見ることができます。)

 入口門を入るとその先は、「布橋」(国重文)と呼ばれる長い廊下棟だった。布橋を進んで行くと左側に四脚門(国重文)があった。説明板に『この門はかって大祝(祭神の子孫であり神を顕現する者)だけが最上段の硯石と呼ばれる磐座へ登って行った門である。』と。

 四脚門の左右に建物が見えるが、左側は東御宝殿であり、右側は西御宝殿であるが、これ以外に写真に撮っていなかった。進んで行くと堀重門があった。ここからは、瑞垣内には入れない。堀重門を背にして北側を見ると真っすぐな北参道が見えた。

 堀重門の先に参拝者が出入できる入口門があった。入口門を入ると目の前に宝物殿があった。

 右手に受付があり、左に歩いて行くと右側に梶の木があった。梶の木は、神紋に使われている。

 梶の木の先には、勅願殿があった。正面は、参拝所だった。参拝所で参拝した。

 参拝所から奥には入れないので、参拝所越しに拝殿(国重文)を拝観した。見えないが拝殿の先に幣殿がある。幣殿の先には、本殿はなく、「神居」である。


拝殿と片拝殿(共に国重文)

 参拝が終わると瑞垣から出て北参道へ出た。そこから境内を拝見した。鳥居を入ると正面に堀重門が見え、左側に一之御柱があった。

 堀重門の方へは、進まないで、左折した。境内案内図を見るとこれが正規の参拝ルートのようだ。進んで行くと左側に神楽殿(国重文)があり、右側に勅使殿(国重文)があった。

 更に進んで行くと左側に神馬舎(駒形屋)(国重文)があり、右側は東参道の入口門だった。これで境内を一回りしたことになる。時刻は、8:48だった。

 この後は、「ちの旅館」に戻り自転車返却後、下社参拝に向かった。

下社秋宮参拝

 「ちの旅館」に自転車を返却した後、茅野駅から電車に乗り下諏訪駅で降りた。時刻は、10:30だった。下諏訪には、レンタルサイクルがあることをネットで知っていたので、レンタルサイクル屋を探し借りたが、電動補助自転車だったので大いに助かった。町営で1時間100円で安かった。店のおじさんは、町立で観光が目的なので、儲ける必要はないんだよと言っていた。春宮と秋宮があるが、東側にある秋宮から参拝することにし自転車を走らせた。

 20分程度走ると秋宮の境内入口に着いた。鳥居をくぐって参道を進んで行くと左先に工事中の建屋が見えた。

 近づくと国重文の神楽殿は、修理中であった。残念! 右手には受付があった。

 修理中の神楽殿の右側を進んで行くと一之御柱がありその左先には、左片拝殿が見えた。進んで行って左方を見ると幣拝殿(国重文)があった。拝幣殿で参拝したが、参拝者が多かった。

 拝幣殿を正面から見てみよう。


幣拝殿を正面から

 瑞垣内の御宝殿を拝観しようとしたが、残念ながらわずかしか拝観できなかった。

 参拝後は、春宮へむかった。

下社春宮参拝

 地図は、秋宮の地図を移動して見ていただきたい。
 秋宮参拝後は、再び自転車に乗車し春宮へ向かった。春宮は、秋宮のような混雑はなかった。

 神楽殿の右側から拝幣殿(国重文)が見えた。

 透かし戸から本殿を拝観した。右側には、二之御柱が立っていた。

 参拝を終わったときは、11:20だった。その後は、諏訪湖畔に出て諏訪湖をゆっくり眺めた。大学二年生のとき以来であった。この後は、諏訪氏の上原城と桑原城を見学し、この日も「ちの旅館」に宿泊した。 (2018/01/30)

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