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三仏寺は、県道21号線から急峻な石段を登った上に位置していた。 | ||
石段を登って行くと受付があり、ここで入山料400円/人を払って入山した。 | ||
受付から中に入って行くと左手に皆成院、右手に正善院、また左手に輪光院とあり、その後石段を登ったところに宝物殿があり、更に石段を登った右手に「三仏寺」という看板が掛った建屋があった。右の写真がそれである。 | ||
左手遠方に本堂があった。ここでお参りして右方奥にある登山受付へ。 | ||
登山受付所である。ここで登山料200円/人を支払い、登山登録し、靴の裏をチェックされた。 | ||
登山の入口である。この門を入り赤い橋を渡ると険しい登山道が続いていた。 | ||
すぐに急峻な根っ子の道に出くわした。写真でみると緩やかに見えるが、手を使わないと登れない。これを見て「たいしたことはないはず」という思い込みをリセットした。 | ||
こういう根っ子の道が続いており、「かずら坂」という名がついていた。写真では、目立たないがかなり急峻である。 | ||
まもなく国の重要文化財である文殊堂が見えてきた。目の前の急峻な坂を登らなければならない。 | ||
文殊堂の舞台の基礎部に辿り着いたところに「クサリ坂」があった。クサリを使って登って行くことになる。 | ||
登ってから写真を撮ろうとするも左右に移動できないため屋根しか撮れなかった。文殊堂では、縁側を一周し遠景を鑑賞した。手すりがないので、緊張した。 | ||
文殊堂を過ぎると鐘楼堂である。先へ行くためには、鐘楼堂の中に入り背を低くして石を渡って行かなければならない。 | ||
すぐに国の重要文化財である地蔵堂に着いた。ここでも縁側を一周し遠景を鑑賞した。 | ||
このような石の道もあった。 | ||
しばらくすると左手に納経堂、右手に観音堂が見えてきた。 | ||
納経堂である。国の重要文化財になっている。 | ||
観音堂である。正保5年(1648年)、鳥取藩主池田光仲により再建されたという。町指定保護文化財と表示されていた。 | ||
観音堂を抜けると小さな元結掛堂があり、その先に「←投入堂」という看板があり投入堂の近くに来たことをさとった。 | ||
「←投入堂」の看板から30メートル程度進むと投入堂が見えてきた。右手に見えるのは、不動堂である。 | ||
国宝投入堂(平安時代後期の建立)、左奥は愛染堂(国宝の附) |
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登山受付所から投入堂まで700メートルとのことで長くはないが、かなり険しい登山道であった。落下で複数の死者が出ているので、一人での登山禁止というお寺の対応には止む終えないと思った。入山者の多くは、トレッキングシューズを履いていたので、難所であることが知れ渡っているようだ。
下山時は、難所の写真を撮ったので、見ていただきたい。 |
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登ってくる人 |
下りてくる人 |
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登る人 |
下りる人 |