北海道旅行

いきさつ

母介護のため10年間毎月日立と松江を往復しその行き帰りにあちこちを旅行した。最初は、お城巡りを行い330城を超える頃になると見たい城もなくなったので、国宝建造物巡りを行った。これが終わると全国一宮巡りを行った。これらの旅行で本州、九州、四国はあちこち廻ったが、北海道は、松前城のある松前町と五稜郭のある函館しか行っていなかった。仕事で函館におよそ5回、室蘭に1回行ったきりであったので、そのうちに北海道をがっちり旅行しようと思っていた。
 2024年4月17日に腹痛のため日立総合病院へ緊急入院した。診査の結果、大腸がんによる腸閉塞、肝臓に転移ありステージWで余命6ヵ月と診断された。腸閉塞に対してステントを入れたが、肝臓には5ケの転移があり手術はできないので、抗がん剤しか使えないという。ところが、抗がん剤は、75歳までで85歳の小生には適用するのは問題だが、要望があれば抗がん剤治療を行うという。抗がん剤治療を行って体調を崩して美味しものを食べられなくなったら長生きしても意味がないと考えたので、抗がん剤治療は行わないことにした。そして4月25日に退院した。ステントを詰まらせてはいけないので、食事制限があり大きいものや硬いものなどは食べられなかった。
 ステントを入れた状態では美味しいものは食べられないので、ステントと大腸がんを削除してもらうことにした。7月1日に入院し7月3日に開腹手術でステントと大腸がんを削除した。歩くと回復が早くなると言われ手術の翌日から病院内を歩いたが、歩く毎に痛くて大変だった。
 7月15日に退院したが、この入院で5kgも痩せ体力が衰えなかなか回復しなかった。1ヶ月経過した8月中旬には、体力もかなり回復していた。そこで、念願の北海道旅行を実行することにした。

旅行計画

道庁のある札幌へは、行かなければならいと思ったが、北海道らしさを体験するためにはどこへ行ってよいかわからなかった。北海道出身の知人が、旭岳ロープウエイを利用し旭岳山麓を歩くとよいと教えてくれたので、次のように計画した。病身であるから無理はしないことにした。初日は、移動だけで観光はしないので、3泊したが、観光は、2泊3日である。

  1. 初 日常陸多賀→羽田→札幌→東横イン泊
  2. 2日目観光バスによる札幌市内観光→電車で旭川へ移動→東横イン泊
  3. 3日目バスで旭岳ロープウエイへ、旭岳山麓散策→札幌へ移動→東横イン泊
  4. 4日目小樽の運河見学→新千歳空港から羽田へ

旅行の実際

初日

(10月9日)

出発の早い飛行機は高価であり、日立出発も早くなるので、常陸多賀発10:07、羽田発13:30とした。
 札幌には、16時半頃に着いた。札幌駅は、北口と南口があり、改札口は、東改札口と西改札口があった。このような構造の駅は初めてであった。札幌の人口は、196万人で大都市であり駅周辺は、ビルが建ち並びわかり難かった。あちこち歩きま廻り概略理解した。


2日目7:24の札幌駅

2日目

(10月10日)

北海道中央バスの定期観光バスを利用した。朝9:00に出発する市内半日観光であったが、旧道庁、時計台、大通りなどは、下車はしないで、バスから見ただけだった。下車したのは、北海道神宮、大倉山競技場、北海道名菓“白い恋人”のテーマパーク型工場、中央卸売市場場外市場の4カ所だった。
 バスから撮れた写真は、下に示す「大通り」であった。


大通り

「大通り」を過ぎるとバスは、北海道神宮に向かって行った。通る車線は、すべて4車線で車が混むことはなかった。やはり北海道だ!と感じた。しばらく走ると、北海道神宮に到着した。

北海道神宮

参道を進んで行くと神門に着いた。神門をくぐると拝殿であった。


神門


拝殿

本殿は、拝殿が邪魔になり一部しか見えなかった。

 北海道神宮の創建は、明治2年で、大国魂神(おおくにたまのかみ)、大那牟遅神(おおなむちのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)が祭られ、1964年(昭和39年)までは札幌神社と呼ばれていた。昭和39年明治天皇を増祀(ぞうし)し、社名も「北海道神宮」と改称された。

大倉山ジャンプ競技場

北海道神宮の見学が終わると大倉山ジャンプ競技場へ向かった。見上げた写真と、見下ろした写真を見ていただきたい。


見上げた写真


見下ろした写真


頂上から札幌を見渡す

白い恋人の館

大倉山ジャンプ競技場の見学が終わると、白い恋人の館へ向かった。白い恋人の館は、何とか売り上げを延そうとして建てた建造物で、北海道では有名であるというが、真剣に見るところではない。一部を紹介する。

中央卸売市場場外市場

中央卸売市場場外市場は、パッとしない商店が並んでいるだけなので、写真を撮り忘れた。昼食を取らなければならないが、あまり豪華でない「海鮮どんぶり」が4000円もしていた。食欲はなかったので、半分の「海鮮どんぶり」を食べた。美味しかったという感覚はしなかった。
 観光バスは、札幌駅で解散した。

札幌から旭川へ

札幌駅で特急列車に乗車し旭川へ向かった。途中、車窓から広々とした平野が変わって行くのを楽しんだ。


すながわ駅を過ぎたころ

旭川には、16時頃着いた。この日の宿泊は、東横INN旭川駅前一条通である。夕食は、苦労してジンギスカン鍋屋を探し、ジンギスカン鍋を食べることができた。

3日目

(10月11日)

旭岳へは、旭川駅前からバスで約2時間である。


旭川駅

バス乗車後は、東へ東へと進行するだけである。途中霧がかかったが、旭岳へ近づくにつれて晴れてきて、車窓から旭岳の頂上が見えてきた。

旭岳ロープウエイ姿見駅で案内図をもらい説明を受けた。下に案内図のコピーを掲載しておく。見やすいように英文は、削除してある。ロープウエイの乗車時間は、10分である。


旭岳山麓の案内図
(クリックすると大きい画面で表示します。

実際に歩いたのは、旭岳ロープウエイ姿見駅→第1展望台→第2展望台→第3展望台→第4展望台→姿見展望台→旭岳石室と歩き55分かかっていた。第5展望台は、下った先であったため行かないで、旭岳石室から旭岳ロープウエイ姿見駅に戻った。33分かかっていた。
 以下順を追って写真を示す。


第1展望台から


第3展望台から 手前の池は、すり鉢池


第4展望台から


噴気を近くから


手前は姿見の池


帰る方向、遠方に旭岳ロープウエイ姿見駅が見える

旭岳ロープウエイ姿見駅へ戻った後は、ロープウエイ、バス、旭川から特急電車で札幌に戻った。
 旅の計画段階では、病身なのでかの有名なススキノへ行く考えは全くなかった。ホテルで調べてみると地下鉄2駅でススキノへ行けることがわかった。ならば、30分でも行ってみようと思って出かけた。地図などの資料は持っていないので、ススキノ駅で駅員に聞いたところ、簡単な地図をくれ説明してくれた。改札を出て歩き出したが、様子をみるだけなので、すぐに飽きてしまった。30分程度散策しホテルに戻った。

4日目

(10月12日)

小樽

朝早く小樽に向かった。小樽は、昔使っていた運河が保存されているだけであまり見るところはなかった。最初に左側(北側)の北運河を見学した。その後、観光用に保存された運河を見学した。いろいろな見学コースがあったようだが興味が沸かなかったので見なかった。


北運河


観光用に整備された運河

小樽運河を見終わった後は、新千歳空港へ向かい、13:55発のJALで羽田空港へ、常陸多賀には7時半に着いた。
 病身であったが、トラブルなく計画通り観光できてよかった。
 2025年春から夏にかけて、まだ元気ならば、東北海道を旅しようと思ってる。

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