尾張国一宮 真清田神社、大神神社

 全国一宮巡拝をしようと決めたところで、松江から日立への移動で取りつき易い神社は、尾張国の一宮である。名前が示すようにJR尾張一宮駅の近く鎮座している。尾張国の一宮は、一社だけと思っていたら二社あった。真清田神社(ますみだじんじゃ)と大神神社(おおみわじんじゃ)である。地図を見ていただきたい。真清田神社は、尾張一宮駅の東北約0.8km、大神神社は、南西約1.5kmに位置している。
 2012年1月16日、朝7:51に松江を発ち、一路、尾張へ。尾張一宮には、13:55に着いた。まずは、真清田神社へということで北方へ歩き出し、約10分で神社前に着いた。真清田神社には、天火明命(あめのほあかりのみこ)が祀られている。境内には、由緒が書いてなかったが、神社のホームページには記載されているも、Wikipediaの記載がわかり易いので、引用しておく。
 『延喜式神名帳に「眞墨田神社」として記載され、名神大社に列している。古くより尾張国一宮とされ、所在地の「一宮」の地名は当社に由来する。
 祭神については古くから諸説あるが、現在は天火明命(あめのほあかりのみこと)とされている。天火明命は、神武天皇33年(紀元前628年)、この地を「尾張」と名づけて開拓をしたという天香山命の父神である。天香山命の子孫が尾張氏とされ、天火明命は尾張氏の祖神とされる。』とある。
 神社前は、整備され広々としていた。そして、立派な楼門があった。


真清田神社前


真清田神社楼門

 楼門を入って拝殿へ行き参拝した。本殿へは、行けないので、横から眺めた。真清田神社は、立派な建物の神社であり、平日にもかかわらず参拝者が多かった。


真清田神社拝殿


真清田神社本殿

 真清田神社の参拝が終わると、次は、大神神社である。当初の計画では、尾張一宮駅まで戻った後、名鉄尾西線で観音寺駅へ行き、そこから歩いて大神神社へ行く予定だったが、距離は2.3km程度なので、歩いて行くことにした。歩くこと20分余で大神神社に着いた。神社まわりにも、神社内にも人影はなかった。この神社は、街中の小さな神社のたたずまいである。拝殿は、鉄筋コンクリート建てと思われる小さな建屋であったが、本殿は、通常の神社と同様木造であった。拝殿前で参拝した。


大神神社正門


正門を入って見渡したところ

大神神社拝殿


大神神社本殿

 拝殿に向かって右方に由緒が書いてあったので下に転記しておく。

社格  
延喜式内社、旧郷社
祭神
大物主神

崇神天皇の御代、疫病が流行したときに天皇が祀った神々の一柱。
大和の国の一の宮大神神社の祭神で、三輪の神とよばれ、大國主神(大國様)の別名がある。
大和の大神神社と同じく、大和系の人々が三輪の神を祀ったことにはじまるといわれる。鎮座地の花池は水が美しく、蓮田が多く、毎年熱田神宮に奉納する蓮が咲く沼であった。
奈良時代に國司が赴任して、國中の神社を代表として國府宮の「尾張大國霊神社」を尾張の総社に指定、次いで花池の「大神神社」と「真清田神社」をまとめての「相殿・対の宮」ということで「尾張の一宮」に指定した。「文徳実録」「尾張國帳」には従一位大名神とあり三宮明神、三明神(神宝として珠・鏡・矢と三種の御証印があった)と称せられ、延長五年延喜式神明帳には式内社とあり勅祭神社であったことが判る。
尾張の國中には、大名神八座、小一二三座あって、当時の大名神八座の一座である。

 上記によると『花池の「大神神社」と「真清田神社」をまとめての「相殿・対の宮」ということで「尾張の一宮」に指定した。』とあるので、真清田神社と対になって一宮であることがわかった。両社とも一宮会に入っている。
 参拝後、名古屋駅の西側にあるスーパーホテルで宿泊した。1000円のキャッシュ・バックがあったので、朝食付で3260円、格安であった。(2012/03/09)