紀伊国一宮丹生都姫神社、日前神宮・國懸神宮、伊太祁曽神社
紀伊国の一宮は、3社もある。丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)、日前神宮・國懸神宮(ひのくまじんぐう・くにかかすじんぐう)および伊太祁曽神社(いたきそじんじゃ)の3社である。日前宮と國懸神宮は、総称として日前宮(にちぜんぐう)と呼ばれているという。この3社を1日で巡拝しようと考えた。丹生都比売神社は、山の中にあり交通の便が悪い。ネットで調べると笠田(かせだ)駅前から丹生都比売神社まで、かつらぎ町のコミュニティ・バスが1日6往復していることがわかった。新大阪を出発点とすると、手頃な朝8:50のバスに乗るためには、南海電車の特急(500円)に乗り橋本でJR和歌山線に乗り換え笠田で下車すればよい。しかし、帰りもバスを利用しようとすると3時間以上待たなければならない。3時間以上も待つ気はしないので、少々長いが妙寺駅まで歩くことにした。約8kmである。その後は、JR和歌山線で和歌山へ行き、和歌山から和歌山鉄道貴志川線で伊太祁曽神社と日前神社・國懸神宮に参拝する。同じ沿線に、一宮ではないが、神武天皇の兄の彦五瀬命が祀られている竈山神社(かまやまじんじゃ)があるので、ここにも参拝することにした。
地元では、日前宮、竈山神社、伊太祁曽神社の3社を参詣することを「三社参り」と言い、古くからこの三社に参詣する人が多いとのこと。 丹生都比売神社
2012年2月13日、新大阪から地下鉄御堂筋線に乗り千里中央方面2駅目の江坂にあるスーパーホテル(\4,280)に宿泊した。 翌朝、外を見たところ残念ながら雨だった。7時前にホテルを出て、7:02発の地下鉄御堂筋線の電車に乗りなんばまで行き、なんばで南海高野線の特急に乗り換えて橋本まで行った。特急は、通勤方向とは逆なので、空いていたが、利用客の90%は女性だったので驚いた。笠田には、8:46に着きコミュニティバスに乗ったが、乗客は、小生一人だった。運転手に聞くと、この時間は、通常は無人で返りの便には、買い物のおばさんたちが乗ると言っていた。 9時10分過ぎに丹生都比売神社に着いた。幸い雨は、止んでいた。バスを降りて神社へ向かうと、突然、「ようこそ 世界遺産の里 天野へ」という幕が目に留まった。この神社は、熊野古道の世界遺産に入っていることを知った。 この神社の鳥居、楼門、本殿は、朱で塗られ、楼門と本殿は、国指定の重要文化財になっていた。拝殿はないので、楼門の前で参拝し、楼門を通して4棟の本殿を拝んだ。四柱の神は、下記である。
楼門前に由緒が書いてあったので転記する。ココをクリックして見ていただきたい。神社の公式ホームページの由緒と少々文面が異なる。
丹生都比売神社は、広くはないので、9時半には、参拝終了した。バスは13時、待つわけにはいかないので、妙寺駅を目指して歩き出した。山の中の県道109号で8kmの道のりである。追い越す車が来たらヒッチハイクをしようかなどと考えながら歩いたが、逆方向の車には、数台遭ったが、追い越す車は、ゼロであった。最初は、緩やかな登りであったが、1km程度進むと下りになった。下り道を進むと遥遠く雲と霧に霞む紀ノ川が見え幻想的な景色であった。下り道は、足が速くなるので1時間半で妙寺駅に着いた。
県道109号の高いところから紀ノ川を望む
伊太祁曽神社
妙寺駅から和歌山線に乗り和歌山へ。和歌山駅の改札を出て和歌山鉄道の乗り場を探したが表示が見当たらない。通り掛かりの人に聞いたところ反対側だという。そこで、反対側へ行ってみても表示がない。また、通り掛かりの人に聞いてみたがよくわからない。JRの改札で聞いてみてくれという。JRの改札員に聞くと、この改札を入って行くと和歌山鉄道の乗り場へ行く階段があるという。そこでようやく和歌山鉄道の乗り場に辿り着いた。12:50発の予定した電車の発車時刻3分前であった。和歌山駅で昼食用のサンドイッチでも買おうと思っていたが、時間がなく買えなかった。降りた駅の近くに売店はあるだろうからそこで買おうと思った。ところが、この後下車した伊太祁曽駅、竈山駅、日前宮駅の周りには、商店は1軒もなく、昼食にするものを買うことはできなかった。結局、この日は、昼食抜きとなった。
電車に乗ったところ、車内の雰囲気が違う。独特な意匠の壁、座席はいろいろな形をしており、所どころに本棚や置物棚が据え付けてあり明るい雰囲気である。写真を見ていただきたい。観光用に作った車両のようだ。 17分乗車で伊太祁曽駅に着いた。伊太祁曽駅は、小さな駅で付近には、商店など1軒もなかった。雨が降っていたが、3段折りのミニ傘をさして伊太祁曽神社を目指して歩いた。
5分程度で伊太祁曽神社に着いた。正面を見ると奥に拝殿が見えた。拝殿と書いたが通常の拝殿と異なる。何の飾りもないので、拝殿というより待合所と言った方がよい。
拝殿の奥には、本殿を囲む廻廊があり参拝所が3ヶ所あった。中央が、主神の五十猛命(いたけるのみこと)、右側が大屋津比売命(おおやつひめのみこと)、左側が都麻屋津比売命(つまつひめのみこと)の参拝所である。
廻廊の格子の間から本殿、脇殿の写真を撮った。また、右方から本殿と右脇殿屋根を撮影した。
この神社の由緒は、Wikipediaの記述が簡潔でわかり易いので引用しておく。 「御鎮座の時期については詳らかでないが、『続日本紀』の文武天皇大宝2年(702年)の記事が初見になる。古くは現在の日前宮の地に祀られていたが、垂仁天皇16年に日前神・国懸神が同所で祀られることになったので、その地を開け渡したと社伝に伝える。その際、現在地の近くの「亥の杜」に遷座し、713年(和銅6年)に現在地に遷座したと伝えられる。 延喜式神名帳では名神大社に列し、紀伊国一宮とされる。1918年(大正7年)に官幣中社に列格した。」 13:30には、参拝を終わり竈山神社へ向かった。 竈山神社 竈山神社は、別ページとした。ココをクリックしてご覧いただきたい。 日前神宮・國懸神宮
竈山神社の参拝を終わり3時前に日前神宮・國懸神宮のある日前宮駅に着いた。雨は、かなりの降りであった。
日前宮駅から数分で日前神宮・國懸神宮前に着いた。官幣大社であったため神宮入口は、立派であった。真っ直ぐ進んで行くとT字路に着いた。そこには、右方が國懸神宮、左方が日前神宮の看板が立っていた。まずは、日前神宮へ行くことにした。日前神宮の境内は、広くはないが、建物は、立派に見えた。拝殿に入って参拝した。次に、國懸神宮前へ行ったが、何と日前神宮とほゞ同じ配置、同じ構造の建造物だと思った。下の写真を見ていただきたい。意識して撮った写真ではないので、角度などが異なるが、作りは対称だとわかると思う。 この神社は、なんとなく戦前の匂いがするので、Wikipediaを見たら「大正8年(1919年)には国費による改善工事によって境内の建物はすべて一新されており、旧観は大きく変化している。大正15年(1926年)3月の工事完成をもって現在の左右対称の姿となった。」となっており、やはりと思った。 ここの主祭神は、日前神宮が、日前大神(ひのくまのおおかみ)、國懸神宮が、國懸大神(くにかかすのおおかみ)である。
以上で紀伊国の一宮3社の参拝は終了した。一日中雨だったのは、残念だった。 (2012/04/04)
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