大和国一宮は、
大神神社(おおみわじんじゃ)で、所在地は、奈良県桜井市三輪1422、JR桜井線の三輪駅の東方に位置している。主祭神は、大物主大神 (おおものぬしのおおかみ)であるが、三輪山そのものを神体として成立した神社であり、今日でも本殿をもっていない。
当初、「大神」と書いて「おおみわ」と読むので驚いた。この地で神というと、「三輪の神」をさしたので、いつのころか「神」という字を「みわ」と読むようになったと考えらる。
2012年4月15日、松江駅7:51発の特急やくもに乗車し、岡山で新幹線ひかりに乗り換え、新大阪から天王寺へ行き、天王寺から和歌山行きの快速で高田へ、高田から桜井線で桜井へ、桜井には、14:22に着いた。当初、桜井駅のコインロッカーに荷物を預けてから電車で三輪へ行き三輪から歩くことにしていたが、電車の本数が少なくうまくつながらないし、桜井と三輪間は2km弱しかないので、桜井から歩くことにした。
桜井駅から約400m北に歩いてから右折し、約150m進んだところで左折し線路にほゞ並行に走っている道路を北に向かって歩いた。しばらくすると右手に三輪山が見えてきた。三輪駅近くになると道路は非常に狭くなっていたが、大神神社へ直通する県道238号に出ると道路は広くなった。
県道238号に出るまでは、歩いている人はほとんどいなかったが、県道に出ると車が多く歩行者も多かった。県道を神社の方に進んで行くと右側は舗装された車道、左側は砂利道の歩道に分離されていた。歩道には、屋台が数軒出ていた。神社入口前には、左右に多数の車が駐車していた。入口には二の鳥居があり名称は、「三輪乃神」となっていた。鳥居をくぐると長い参道である。参道を進んで行くと遠方に拝殿が見えてきた。石段を登って行くと手水舎があり手を清めた後、しめ縄のある下まで行った。
しめ縄の下の左側に由緒書きの看板が立っていたので、以下に紹介する。
御祭神 大物主大神(おおものぬしのおおかみ)
配 神 大己貴神(おおなむちのみこと)
少彦名神(すくなひこなのかみ)
当神社は、秀麗な三輪山を神体とする我国最古の神社で、元官幣大社、延喜式内の名神大社二十二社の一社で、大和国一宮、全国各地に祭祀せられる大物主神の総本山であります。
大物主神は、大国主神の和魂(幸魂・奇魂)で、大国主神が神代の昔、国造りに労せられたとき、その和魂が現れ、問答の後自らこの三輪山に鎮まられたのであり、農工商等あらゆる産業を開発し、常に日常生活全般をお守り下され、顕会・幽界を主宰し給う和の大神であります。
その御神徳は極めて広大であり、古事記・日本書紀・万葉集等の古典により明瞭に伺えます。大和・河内・摂津はもとより、広く全国にわたって篤い信仰を集めています。
山麓には、崇神天皇から推古天皇に至る十三代の皇居遺跡があり、この地は当時の国道一号線とも言うべき山の辺の道を動脈として、飛鳥以前四・五世紀頃の日本の政治経済の中心をなしていました。
境内地は、現在古都保存法による歴史的風土三輪山特別地区及び国の史跡に指定されています。
三 輪 山 標高四六七メートル ・ 周囲十六キロメートル
面積三五○ヘクタール
三ツ鳥居 明神鳥居三基を組み合わせた独特の形式は、古来一社の神秘とされています。
(国の重要文化財)
拝 殿 寛文四年(一六六四)四代将軍徳川家綱公改建
(国の重要文化財)
しめ縄下から石段を登って行くと立派な拝殿があり参拝した。
拝殿(国重文)
参拝が終わると摂社・末社の巡拝へ。まず、拝殿の左手へ進み崇神天皇を祀った天皇社(末社)を参拝し、次に神宝神社(末社)を参拝した。
次は、拝殿の左手へ進むと平成9年に竣工した祈祷殿が目に留まった。祈祷殿の前を進み祈祷殿の左側の坂を登って進んで行くと大神荒魂神を祀った摂社の狭井神社に着いた。この神社の左手には、霊泉が湧き出ていた。
狭井神社から久延彦神社へは、「大美和の杜展望台」を通っていくことになる。展望台には、枝垂れ桜が沢山植えてあり満開だった。展望台からは大和盆地を一望することができ、高さ32mの一の鳥居も見ることが出来た。展望台での展望が終わると久延彦神社へ行きお参りした。
祈祷殿 | |
狭井神社(摂社) |
展望台へ | |
枝垂れ桜が満開 |
展望台から一の鳥居を見る | |
久延彦神社(末社) |
展望台からは、大和盆地が一望できたが、写真の一枚を下に紹介する。残念ながら曇っていた。
参拝が終わると神社入口からバスに乗ろうとしたが、大勢並んでおり乗れるかどうかわからないので、桜井駅まで歩いた。この日は、奈良駅前のスーパーホテルに宿泊した。(2012/06/01)