武蔵国一宮は、さいたま市にある氷川神社(ひかわじんじゃ)、氷川女体神社(ひかわにょたいじんじゃ)、多摩市にある小野神社(おのじんじゃ)そして府中市にある小野神社(おのじんじゃ)の四社である。
氷川神社
氷川神社の所在地は、埼玉県さいたま市大宮区高鼻町一丁目407番地で、JR大宮駅の北北東1.2kmのところにある。祭神は、 須佐之男命、奇稲田姫命、大己貴命である。
2012年4月11日朝、常陸多賀駅を発ち大宮に9:46に着いた。歩行距離を短くするには、大宮駅で東武野田線に乗り換え北大宮で下車すればよいが、大宮駅から神社まで1.4km程度しかないので歩くことにした。大宮駅から東方へ500m程度行ったところの交差点を左折、そこは氷川緑地という通路になっておりこれを300m程度進んで二の鳥居に着いた。二の鳥居から500m程度進むと神社入口の三の鳥居に着いた。鳥居をくぐったすぐ左に「氷川神社境内案内図」があり、この中に由緒が記してあったので下に転記する。
『氷川神社は今から凡そ二千有余年前、第五代孝昭天皇の御代三年四月未の日の御創立と伝えられます。当神社は、歴朝の御崇敬・武将の尊敬も篤く、景行天皇の御代日本武尊は東夷鎮圧の祈願をなされ、成務天皇の御代には出雲族の兄多毛比命が朝命により武蔵国造となって氷川神社を専ら奉崇し、善政を布かれてから益々神威匠輝き、格式高く聖武天皇の御代武蔵一宮と定められ、醍醐天皇の御代に制定された延喜式神名帳には名神大社として、月次新嘗案上の官幣に預り又臨時祭にも奉幣に預っています。武家時代になってからは鎌倉、足利、徳川の各将軍家等相継いで尊仰し、奉行に命じて社殿を造営し社領を寄進する等、祭祀も厳重に行われていました。 明治の御代に至っては明治元年、都を東京に遷され当社を武蔵国の鎮守・勅祭の社と御定めになり天皇御親ら祭儀を執り行われました。次いで明治四年には官幣大社に列せられました。
昭和九年昭和天皇御親拝、昭和三十八年今上陛下が皇太子時に御参拝になられ、昭和四十二年十月、明治天皇御親祭百年大祭が執り行われ社殿、その他の諸建物の修復工事が完成し、十月二十三日昭和天皇・皇后両陛下御揃いで親しく御参拝になられました。昭和六十二年七月には天皇・皇后両陛下(当時皇太子・同妃殿下)が御参拝になられました。』
三の鳥居を過ぎると右方に神楽殿と額殿があり、左手に社務所があった。進んで行くと神池があり朱色の神橋がかかっていた。神橋の先には朱で塗られた楼門が見えた。楼門左手の手水舎で清め楼門に入った。楼門の左右は廻廊になっており楼門の目の前に舞殿があった。舞殿の奥には拝殿がありここで参拝した。参拝後拝殿を通して本殿を拝見した。拝殿から離れて本殿全体を拝見しようとしたが、屋根の千木と鰹木しか拝見できなかった。
参拝が終わると、多摩市の小野神社へ行くために埼京線で新宿へ向かった。
小野神社(多摩市)
小野神社の所在地は、東京都多摩市一ノ宮1丁目18−8で、京王線聖蹟桜ヶ丘の西北西約500mのところにある。主祭神は、以下の8柱である。
・天下春命(あめのしたはるのみこと)
・織津比当ス(せおりつひめのみこと)
・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
・素盞嗚尊(すさのおのみこと)
・大己貴大神(おおなむちのおおかみ)
・瓊々杵尊(ににぎのみこと)
・彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)
・倉稲魂命(うがのみたまのみこと)