壱岐国一宮 興神社、天手長男神社


 壱岐国一宮は、興神社(こうじんじゃ)と天手長男神社(あめのたながおじんじゃ)の2社である。
 参拝経路を検討した結果、壱岐へは、フェリーとジェットフォイルがあるが、フェリーは、2時間20分かかり1日では巡拝できないので、ジェットフォイルを利用することにした。ジェットフォイルは、ガスタービンエンジンで駆動される「ウォータージェット推進機」の推力で前進する水中翼船で、乗船時間は70分と早いが、片道4160円と高額である。朝、博多ふ頭を出発し郷ノ浦港へ、郷ノ浦港からは、バスで壱岐市民病院まで行き、その先は、地図上の矢印で示した経路で歩くことにした。壱岐市民病院から興神社まで約2.9km、興神社から天手長男神社まで約3.8km、天手長男神社から郷ノ浦港まで約3.5kmで歩行距離は、合計約10kmである。



興神社
 興神社の所在地は、 長崎県壱岐市芦辺町湯岳興触676で、郷ノ浦港から北東約5km余のところにある。主祭神は、足仲彦尊と息長足姫尊である。
 2012年5月14日朝、宿泊した博多の東洋ホテルを出て、西鉄バスで博多ふ頭へ向かった。残念ながら天気が悪く博多ふ頭に着いたときは、ポツリポツリと降り出した。ジェットフォイルは、8時に博多ふ頭を出発した。乗船したジェットフォイルは、ヴィーナス号で全長30.33m、総トン数163トン、航海速度約40ノット、旅客定数263名である。乗客は、100人程度であった。天気が悪く見晴はよくなかった。9時10分に郷ノ浦港に着いた。下船したとき、少し雨が降っていたが、バス待ちをしている間に止んだ。9時30分、壱岐市民病院行の壱岐交通バスに乗車した。乗客は、私一人だった。


博多ふ頭

乗船したジェットフォイル ヴィーナス号

郷ノ浦港岸壁

郷ノ浦港バス停

 バス乗車約10分で壱岐市民病院に着いた。ここから歩行開始である。幸いなことに雨は止んでいた。道路は県道173号であるが、車の往来は多くはなかった。約40分歩いたところで、興神社の一ノ鳥居が見えて来た。一ノ鳥居の右手に由緒沿革が記してあったので転記しておく。
由緒沿革
一、
当社は延喜式第十巻神明帳書載の壱岐嶋石田郡興神社である。社記に言う。往古壱岐伊宅郷国名村(湯岳村)国の一宮国分社で又官庫の鑰政所の印を納めていたので印鑰大明神と称したとある
一、
明神記には興神社こう村以前は印鑰大明神式内社とある。
一、
嵯峨天皇弘仁二年十月(千二百年前)朔日御鎮座で文徳天皇仁寿元年(千百四十年前)正六位上に叙せられ以後十回にわたり各一階づつ神階を進められ給う
一、
永禄九年(四百四十年前)宝殿再建
  松浦肥前守源隆信公の棟札あり
一、
同年 十三年 拝殿再建松浦肥前守源鎮信公
一、
慶安二年(三百四十年前)国主松浦肥前守鎮信公木鏡及石額奉納せらる
一、
社記には例祭日の前夜大神楽翌例祭日には国主名代兵具や幣帛を献上するとあり又女池の行宮に渡御ありと記されている
一、
壱岐七社の一つで明治九年十二月四日村社に列せらる
一、
明治四十年神饌幣帛料供進神社に指定せらる
(神饌幣帛料供進神社の読み:しんせんへいはくりょうきょうしんじんじゃ)

 一ノ鳥居をくぐって入って行くと、二ノ鳥居があり遠方に拝殿が見えた。拝殿は、神社らしい建物ではなく普通の民家のような建物であった。拝殿の内部は、畳が敷いてあるだけであった。拝殿で参拝が終わると、左に廻って本殿を拝見したが、本殿は、鞘堂で覆われていたが、鞘堂の中に入ることができたので、本殿を廻って拝見した。本殿は、朱塗りであったが、かなり剥げていた。


壱岐市民病院

このような道を歩いた

歩行約40分で鳥居が見えてきた

一ノ鳥居

二ノ鳥居

拝殿

拝殿内部

本殿の鞘堂

本殿 斜め前から

本殿 横から

 興神社の参拝が終わると、次は、天手長男神社である。

天手長男神社
 この神社の所在地は、 長崎県壱岐市郷ノ浦町田中触730で、郷ノ浦港の北北東3km弱のところにある。主祭神は、天忍穂耳尊、天手力男命、天鈿女命である。
 2012年5月14日、興神社参拝後、県道173号を引き返し天手長男神社へ行く市道へ右折した。途中、ポピーがきれいに咲いていたので、すぐそばにいたおばさんたちに「きれいですね。」と声をかけたら喜んでくれた。何処から来たかと聞くので、「茨城県」と応えたら驚いていた。
 1時間弱歩いたとこで、天手長比売神社跡という表示板が目に留まった。指示方向の左手を見ると約100m先に鳥居が見えた。興味が湧いたので、行ってみたが、神社跡なので石台が設置してあるだけだった。この神社跡から北の方にお椀を伏せたような森が見えた。おそらく天手長男神社の森ではないかと推測した。


県道173から市道への分岐点

途中ポピーがきれいだった。

左手に天手長比売神社跡が見えた。

天手長比売神社跡から神社の森

 数分で鳥居のある天手長男神社の入口に着いた。この鳥居は、一ノ鳥居と呼ぶことにする。鳥居の先は、長い石段が続いていた。石段を登り始めたが、石段および左右の法面に雑草が生えており、手入れが行き届いていないように見受けられた。田舎の神社なので、絶えず除草することは、無理だろうと思った。
 石段を登って行くと二ノ鳥居があり登り切ったところに三ノ鳥居があった。鳥居の先は、拝殿である。拝殿の構造は、興神社の拝殿と類似していた。拝殿で参拝後、本殿を拝見しようとしたが、本殿は、鞘堂の中にあり全く拝見することはできなかった。
 

神社入口 一ノ鳥居

石段、法面には雑草が

二ノ鳥居

三ノ鳥居

拝殿

拝殿内部

拝殿の先に本殿の鞘堂

本殿の鞘堂を横から

 参拝後は、石段を下りた後、国道382号に出るために西の方へ向かった。50mも進むと車で神社へ上がる入口があった。そこには、神社紹介の簡単な説明板があった。説明板は、祭神と合祀が記載されていた。合祀部分を下記する。

車入口の説明板
「昭和四十年(一九六五)五月から、左記の 五社が合祀されることになった。
   天手長男神社 式内社(名神大)
   天手長比売神社 式内社(名神大)
   物部布都神社 式内社(名神大)
   若宮神社
   宝満神社
 さらに安産の神として有名な粟島神社も奉祀されている。」
 先に天手長比売神社跡を訪ねたが、祭神は、この神社に合祀されていることがわかった。
 この後、国道382号に出たが、このとき、時刻は12時9分であった。昼食をとらなければならないので、食堂を探しながら南に向かって歩いた。ラーメン屋などがあったが、なかなか入る気がしなかった。しばらく歩くと、左手にスーパーがあったので入ってみた。壱岐は周辺が海なので、魚がうまいだろうと思って寿司を見たところ、おいしそうなのは、6カン398円の江戸前寿司だった。量が少なく不満であったが、これを買って食べたところおいしかった。
 その後、ゆっくり国道382号を南下し、八畑というところから県道25号に入った。郷ノ浦の繁華街を通り抜け、そして周囲を見ながら湾岸を歩いた。港に近づくと郷ノ浦大橋が見えてきた。なかなかよい眺めであった。13時10分頃、郷ノ浦港に着いた。


郷ノ浦町の繁華街

湾岸 上方遠方は壱岐高校

 
郷ノ浦大橋

 郷ノ浦港14時15分発のジェットフォイルで博多に戻った。