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博多ふ頭 |
乗船したジェットフォイル ヴィーナス号 |
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郷ノ浦港岸壁 |
郷ノ浦港バス停 |
由緒沿革 |
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一、 | 当社は延喜式第十巻神明帳書載の壱岐嶋石田郡興神社である。社記に言う。往古壱岐伊宅郷国名村(湯岳村)国の一宮国分社で又官庫の鑰政所の印を納めていたので印鑰大明神と称したとある |
一、 | 明神記には興神社こう村以前は印鑰大明神式内社とある。 |
一、 | 嵯峨天皇弘仁二年十月(千二百年前)朔日御鎮座で文徳天皇仁寿元年(千百四十年前)正六位上に叙せられ以後十回にわたり各一階づつ神階を進められ給う |
一、 |
永禄九年(四百四十年前)宝殿再建 松浦肥前守源隆信公の棟札あり |
一、 | 同年 十三年 拝殿再建松浦肥前守源鎮信公 |
一、 | 慶安二年(三百四十年前)国主松浦肥前守鎮信公木鏡及石額奉納せらる |
一、 | 社記には例祭日の前夜大神楽翌例祭日には国主名代兵具や幣帛を献上するとあり又女池の行宮に渡御ありと記されている |
一、 | 壱岐七社の一つで明治九年十二月四日村社に列せらる |
一、 | 明治四十年神饌幣帛料供進神社に指定せらる |
(神饌幣帛料供進神社の読み:しんせんへいはくりょうきょうしんじんじゃ) |
壱岐市民病院 |
このような道を歩いた |
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歩行約40分で鳥居が見えてきた |
一ノ鳥居 |
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二ノ鳥居 |
拝殿 |
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拝殿内部 |
本殿の鞘堂 |
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本殿 斜め前から |
本殿 横から |
県道173から市道への分岐点 |
途中ポピーがきれいだった。 |
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左手に天手長比売神社跡が見えた。 |
天手長比売神社跡から神社の森 |
神社入口 一ノ鳥居 |
石段、法面には雑草が |
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二ノ鳥居 |
三ノ鳥居 |
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拝殿 |
拝殿内部 |
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拝殿の先に本殿の鞘堂 |
本殿の鞘堂を横から |
車入口の説明板 |
郷ノ浦町の繁華街 |
湾岸 上方遠方は壱岐高校 |