肥前一宮は、
與止日女神社(よどひめじんじゃ)と千栗八幡宮(ちりくはちまんぐう)である。千栗八幡宮の栗は、(くり)とは読まないで逆の(りく)と読むのにはびっくりした。
與止日女神社
この神社の所在地は、佐賀県佐賀市大和町大字川上1番地で、佐賀駅北方約7.5kmのところにある。
この神社は、佐賀駅からかなり遠いので、バスを探したところ、市バスが利用できることがわかったが、佐賀駅から尼寺までである。そこで尼寺から神社まで約2.5kmを歩くことにした。歩くのは苦痛でないが、時間を費やする。この日は、3社を参拝する予定のため、できるだけ時間を節約したい。そこでいろいろ調べてみたところ、昭和バスの古湯・北山線を利用すると、徒歩なしで参拝できることがわかった。
2012年5月15日朝、宿泊した博多のホテルを発ち、特急かもめで佐賀へ、7:59に佐賀に着いた。佐賀バスセンター8:09発の昭和バスに乗車し、川上峡温泉前の嘉瀬川に架かる川上橋を渡ったところで下車した。8:40であった。與止日女神社は、目の前であった。残念ながら雨が降っており傘をさしての参拝となった。
神社の本殿は、すぐ近くであったが、正門は、かなり南に下ったところにあった。鳥居をくぐって参道を行くと両側には多数の車が駐車していた。進んで行くと二ノ鳥居があり遠方に拝殿が見えた。二ノ鳥居をくぐっていくと左手に説明板があり、簡単な由緒が書いてあったので、下に記す。
「由緒 欽明天皇二十五年(五六四)創祀され、延喜式内社で、のち肥前国一の宮と崇められ、弘長元年(一二六一)正一位を授けれた。
朝廷の御崇敬あり、また、鎌倉幕府をはじめ部門、領主、藩主の尊信を受けた。
明治四年県社に列す。」
拝殿で参拝した後、左廻りして本殿を拝見した。参拝客は、私一人であった。
神社の西側に西門があったが、佐賀県の重要文化財になっていた。神社の東側は、嘉瀬川である。この川に多数の鯉のぼりが渡してあった。風がなく雨が降っていたので、素直に垂れ下がっていた。
参拝後、9:25発のバスで佐賀駅に戻った。次は、千栗八幡宮参拝である。
千栗八幡宮
この神社の所在地は、佐賀県三養基郡みやき町大字白壁字千栗で、久留米駅の北西約2.4kmのところにある。千栗は、「ちくり」とは読まないで「ちりく」である。
主祭神は応神天皇・仲哀天皇・神功皇后の3柱で、そのほかに難波皇子・宇治皇子・住吉明神・武内宿禰の4柱が祀られている。
2012年5月15日、佐賀の與止日女神社を参拝した後、長崎本線で鳥栖へ、鳥栖で鹿児島本線に乗り換えて久留米に11:09に着いた。久留米駅から千栗八幡宮までは、大した距離ではないので、歩いて行くことにしていた。久留米駅に着くと荷物をコインロッカーに預け歩き出した。築後川に架かる橋のたもとに来たとき梅林寺というバス停があることに気付いた。利用できるバスがあるかもしれないと思って時刻表をみたところ約5分前に通過したようだった。ところが更に時刻表を見ていると西鉄バスが来た。千栗八幡宮を通るバスのようなので、乗り込んで運転手に聞いたところ然りだという。バスが約5分遅れていたようだ。これは大助かりである。少なくとも1時間は節約できると喜んだ。道路は、ほゞ直線である。数分乗車で千栗八幡宮前に着いた。雨はなんとか止んでいた。
バス停のすぐ背後が神社入口である。そこには、一ノ鳥居があり、この鳥居は、石造りで慶長十四年(一六〇九)鍋島藩祖鍋島直茂公によって奉納されたもので、町重要有形文化財に指定されている。鳥居の右側に案内板があり由緒が記してあったので、下に記す。
「由緒
神亀元年(七二四)聖武天皇の勅を奉じて養父郡司 壬生春成が、この地に社殿を、造営し創建したと伝えている。以来本宮は宇佐神宮の五所別宮の一と称せられ、朝廷からも厚く尊崇を受けた。慶長十四年(一六〇九)には後陽成天皇より
「肥前国総廟一宮鎮守千栗八幡大菩薩」の勅額を賜わった。
中世以降は肥前国一宮と呼ばれている。」
鳥居をくぐると勾配のきつい石段である。石段を登り切ったところに二ノ鳥居があった。二ノ鳥居の先は拝殿である。拝殿で参拝し、右側から左廻りで本殿を拝見した。
参拝が終わった後は、バスで久留米駅に戻った。時刻は、12時半で昼食の時間であった。何を食べようかと見回したところ、「久留米は、豚骨ラーメンの発祥地」という看板を掲げたラーメン屋があった。昨日、博多で豚骨ラーメンを食べたばかりであったが、発祥地の豚骨を味わおうとそのラーメン屋に入った。味は、昨日食べた博多の豚骨ラーメンとほゞ同じ味だった。
この後は、筑後一宮高良大社参拝である。(2012/07/11)