肥後国一宮 阿蘇神社


 肥後国一宮は、阿蘇神社(あそじんじゃ)である。所在地は、熊本県阿蘇市一の宮町宮地3083−1で、豊肥本線宮地駅の北方約1.2kmのところにある。
 祭神は、神武天皇の孫の健磐龍命(たけいわたつのみこと)(一宮)、その妃神で土地の神の阿蘇都比当ス(あそつひめのみこと)(二宮)、國造速瓶玉神(くにのみやつこはやみかたまのみこと)(十一宮)をはじめとして以下の12柱の神が三つの神殿に祀られている。
   一の神殿(左手)
  • 一宮 -- 健磐龍命
  • 三宮 -- 國龍神(二宮の父)
  • 五宮 -- 彦御子神(一宮の孫)
  • 七宮 -- 新彦神(三宮の子)
  • 九宮 -- 若彦神(七宮の子)
   二の神殿(右手)
  • 二宮 -- 阿蘇都比当ス(一宮の妃)
  • 四宮 -- 比東芬q神(三宮の妃)
  • 六宮 -- 若比盗_(五宮の妃)
  • 八宮 -- 新比盗_(三宮の子)
  • 十宮 -- 彌比盗_(七宮の妃)
   別殿(最奥)
  • 十一宮 -- 國造速瓶玉神(一宮の子)
  • 十二宮 -- 金凝神(一宮の叔父)
  • 全国式内社御祭神3132座

 別殿は、三の神殿または諸神殿とも言うようである。神社内の由緒書きでは、別殿と記してあり、第一駐車場の説明板では、三の神殿になっていた。

 2012年5月16日朝、熊本駅近くのホテル五番街を出て、熊本7:11発豊肥線宮地行の普通列車に乗車した。乗車したときは、前日の続きで空は曇っていたが、徐々に晴れて来て沿線の緑が映えてきた。宮地に近づくと阿蘇山の山並みがきれいに見えてきた。


車窓からの阿蘇山の山並み
 8:55宮地駅に着いた。下車したのは、3名程度だった。松江からのJRの乗車券は、ここまでである。この後は、バスで大分に行くので、大分行きのバス停を確認した後、北に向かって県道11号線を歩き出した。九州は、バス路線が発達していて、JRを利用するよりバスを利用した方が、安くて早いことが多い。


宮地駅

県道11号

 12分程度歩くと左手遠方に神社の屋根が見えて来た。左折して県道110号に入ると直ぐに神社であった。目の前の第一駐車場を横切ると楼門前に行けたが、鳥居をくぐらないと落ち着かないので、右に回って北鳥居から入った。


案内板
 北鳥居は、木製であった。左手先に楼門が見え、遠方に南鳥居が見えた。鳥居をくぐって入って行くと左側に神幸門、楼門、還御門と続いていた。右手楼門の前には、銘水「神の泉」という手水舎があった。水がとくとくと流れていた。「神の泉の由来」という説明書きがあり「一の宮町はむかしより地下水の噴出する[清泉の町]として知られております。とくにこの神域に湧き出ずる水は美味芳醇な神の泉として珍重され、不良長寿の水として多くの人々に飲用されています。」とあった。手水舎で手を清めてから楼門に入って行った。この楼門は、日本三大楼門の一つに数えられているという。神幸門、楼門、還御門、一の神殿、二の神殿、別殿は、国の重要文化財に指定されている。


北鳥居

右から神幸門、楼門、還御門(いずれも国重文)

銘水「神の泉」の手水舎

楼門(国重文)

 楼門を入ると正面に拝殿があった。向かって左側に一の神殿の拝所、右側に二の神殿の拝所があった。この拝所の脇に由緒略記板が架かっていた。御由緒には、「神社の創立、社伝に孝霊天皇九年御子速瓶玉命(はやみかたまのみこと)阿蘇宮を創建すと傳ふ(二八〇年)景行天皇十八年 惟人命(これひとみこと) 初代大宮司として祭杞を司る、爾来連綿として九十一代現宮司に至る。」とあった。
 参拝後、それぞれの拝所から神殿を拝見した。別殿は、中央奥にあった。


拝殿(国重文)

拝殿左側の一の神殿拝所

拝殿右側の二の神殿拝所

一の神殿 右奥に別殿

二の神殿 左奥に別殿

 参拝が終わると、右から左廻で、二の神殿、別殿、一の神殿と拝観した。


二の神殿

透かし塀から拝殿、一の神殿、二の神殿

別殿

一の神殿

 神殿の拝観が終わると社殿左側にある山王社・庚申社に参拝した。境内の拝観が終わると楼門を出て南門へ行って見た。南門と手水舎の間に汲み水場が用意されていた。銘水と云われるだけあって汲みに来る人が多いようだ。
 参拝後は、来た道を帰ったが、阿蘇山を見ながらの歩行であった。昨日とは、ことなり天気がよくて気持ちがよかった。


山王社・庚申社

南鳥居

水汲み場

阿蘇山を見ながら宮地駅へ

 宮地駅前のバス停で大分行きバス特急やまびこ号に乗車し大分に向かった。次は、豊後国の西寒多神社である。(2012/07/15)