石見国一宮 物部神社

 この神社の所在地は、島根県大田市川合町川合1545で、大田市駅の南方約5kmのところにある。式内社(小社)で、旧社格は国幣小社であった。主祭神は、宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)である。
 鳥居の左側に平易な由緒書きがあったので、別ページで紹介する。

由緒

 お盆中の方がよいと考え石見国一宮参拝を行った。2012年8月14日朝、松江駅から快速電車に乗車し大田市駅に着いた。駅は、閑散としており、朝9時少し前であったが、駅前通りには人影はなかった。石見銀山がユネスコの世界遺産に登録されたが、電車で来る人は少ないようだ。

 大田市駅前から石見交通のバスに乗車し約20分で川合停留所に着いた。ここから徒歩ですぐであった。

 石段を上がって行くと鳥居越しに社殿が見えた。少し横から見たところ拝殿に比べて本殿がかなり大きいことがわかった。

 参道を進んで行くと右手に立派な手水石があり、説明看板があった。この石は、「富金石」と呼ばれ金を含んだ非常に珍しい石であるとのこと。

 手水石で清め、拝殿へ進み参拝した。

 参拝が終わると、右側から本殿を拝観した。本殿の説明看板があったが、要約する下記である。
『 本殿は、社伝によれば、天文19年(1591年)吉川元春により再建されたと伝えられる。享保3年(1718年)に焼失し、宝暦3年(1753年)に再建されたのが現在の本殿である。
 本殿の建物は高さ16.3mで、正面3間、背面2間、側面2間である。屋根は切妻造り・妻入りの形式で、これに庇屋根をつける春日造りの系統である。
 春日造りの系統でありながら、高床・千木・勝男木・大棟など出雲地域の神社建築の影響が随所にみられる点が特徴である。』

 本殿の左右には、末社があったが、左側に宇摩志麻遅命が天下った際に腰掛けられたと伝えられるお腰掛岩があった。この岩は、昭和56年(1981年)道路拡張に伴い、本来あった折居田から保存のため境内に移されたと。
 神社の裏は、八百山であるが、この山中に古墳があり宇摩志麻遅命の墓であると伝えられている。

 神社に着いたのは9:18、帰りのバスは10:46、十分に時間があるので、ゆっくり参拝し境内のあちこちを見て廻ったが、時間をつぶせないので、帰り道をバスの時間まで歩くことにした。

 歩き出し川合郵便局を通り過ぎ15分程度歩いたところで、右手に神社が見えてきた。神社名は、「新具蘇姫命神社(にいぐそひめのみことじんじゃ)」だった。

新具蘇姫命神社参拝

 境内に入ると由緒の載った看板があり、式内社で石見地方では、最古の神社でありいろいろな歴史ある神社だった。由緒を下に示す。

由緒

 二ノ鳥居をくぐると拝殿があり参拝した。そして、右手から本殿を拝観した。春日造りのようである。

 参拝を終わり間もなくするとバスが来たので乗車し松江へ帰った。 (2017/10/20)

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