但馬国一宮 出石神社、粟鹿神社

出石神社

 出石神社(いずしじんじゃ)の所在地は、兵庫県豊岡市出石町宮内99で、豊岡駅南東約9kmのところにある。
 式内社(名神大社)で、旧社格は国幣中社である。主祭神は、伊豆志八前大神(いづしやまえのおおかみ、出石八前大神)と天日槍命(あめのひぼこのみこと)である。
 この神社の由緒は、境内に記載がなく、またホームページもないので紹介し難い。Wikipediaの「概要」の中に「『古事記』や『日本書紀』に記される渡来新羅王子の天日槍伝説の中心となる神社で、現在の祭神には天日槍が将来したという八種神宝の神霊および天日槍自身の神霊を奉斎し、地元では出石の開拓神としても信仰される。古くから但馬国(兵庫県北部)では随一の神威を誇ったほか、中世・近世には但馬国の一宮にも位置づけられた、但馬地方では代表的な古社になる。」とある。

 出石神社へは、豊岡駅から全但バスで出石町へ行き、神社へは自転車を借りて行くことにした。自転車の走行距離は約2.7kmである。

 2012年9月15日、丹後国一宮籠神社を参拝した後、豊岡駅からバスに乗車し出石へ。出石観光センターで自転車を借り神社を目指した。

 出石神社への道路標識が必要なところにあったので、迷うことなく神社へ行くことができた。道路がカーブするところに一ノ鳥居のある参道入口があった。鳥居をくぐり参道を進んだ。

 参道を進んで行くと二ノ鳥居があった。この横に自転車を停め境内に入った。鳥居をくぐると右手に手水舎があった。

 手水舎で清めた後、神門に入った。出た先は拝殿である。

 拝殿で参拝した後、右方へ進み幣殿越しに本殿を拝観し、更に本殿に近づき直に拝観した。

 出石神社を参拝後、いずし観光センターに戻り自転車を返した。15:00発のバスまで十分時間があったので、出石城を再度見学した。出石城は、5年前の2007年6月12日にお城巡りで訪問している。

 15時発のバスで豊岡に戻った後、山陰線で和田山へ行き、いずみ旅館(\4,500)に宿泊した。翌日は、もう一つの但馬国一宮である粟鹿神社参拝である。

粟鹿神社

 粟鹿神社(あわがじんじゃ)の所在地は、兵庫県朝来市山東町粟鹿2152で、山陰本線梁瀬(やなせ)駅の南東約3.2kmのところにある。
 式内社(名神大社)で、旧社格は県社である。
 主祭神は、下記三神である。
  ・彦火々出見命
  ・日子坐王
  ・阿米美佐利命 - 大国主の子
 この神社の由緒は、境内に記載はなく、またホームページもない。Wikipediaの抜粋を以下に記す。
 『粟鹿とは、鹿が粟を三束くわえて山(粟鹿山)から現れ、人々に農耕を教えたことからつけられ、粟鹿神社にその鹿が祀られていると言う。
 和銅元年(708年)に祭神や歴代祭主などを詳細に記した粟鹿大明神元記の写本が残る(宮内庁所蔵)。朝廷の信頼厚く、国家の大難に対して4度の勅使が遣わされたと伝えられており、約600年前には勅使門が建立されている。』

 粟鹿神社へは、梁瀬駅からバスはないので、歩くことにした。歩行距離は、約3.7kmである。

 2012年9月16日、和田山駅7時少し前発の電車に乗車、梁瀬駅で下車した。時刻は、7:06だった。梁瀬駅からあまり広くない道を進み国道427へ出ると、あとは国道を南東へせっせと歩いた。

 約40分の歩行で粟鹿神社へ行く標識があり県道275への分岐点だった。ここから約10分行くと神社の標識があり遠方に鳥居が見えてきた。

 境内入口に着いたときは、8:00だった。駅から54分かかっていた。境内へ入って行くと右側に勅使門がった。この門は、600年前に製作されたものであるという。

 勅使門の少し先に神門があった。神門を入ると右側に手水舎があった。

 手水舎で清めた後、左手を見るとかなり綻びた天満宮があった。右手を見ると拝殿、本殿が見えた。

 進んで行くと正面に厳島神社の小さな祠があり、右を見ると拝殿である。

 拝殿で参拝し、左側から拝殿、本殿を拝観した。その後、右側からも拝殿、本殿を拝観した。

 参拝が終わった後は、来た道を帰り和田山駅まで戻った。この後は、亀岡へ行き丹波国一宮の出雲大神宮参拝である。 (2017/10/24)

まとめ表に戻る     掲載順に戻る