出雲大神宮の所在地は、京都府亀岡市千歳町出雲後田無番地で、亀岡駅の北方、直線距離で4.7kmのところにある。
式内社(名神大社)で、旧社格は国幣中社である。主祭神は、大国主命、三穂津姫尊である。
この神社の由緒は、境内の看板に記載されていたので、別ページに示す。
この由緒文の中に「俗称元出雲」という記載がる。「元出雲」についてWikipediaは、次のように記載している。
『「元出雲」の別称は、出雲大社が出雲大神宮からの分霊とする社伝(後述)に由来する。いわゆる出雲大社は明治時代に至るまで「杵築大社」を称していたため、江戸時代末までは「出雲の神」と言えば出雲大神宮を指していたとされる。』
この説明には驚いた。出雲大社と呼称するようになったのは、明治4年以降である。
2012年9月16日、粟鹿神社参拝後和田山に引き返した。和田山から特急きのさきに乗車し亀岡へ向かった。亀岡に着くと、亀岡市ふるさとバスに乗車し出雲神宮前で下車した。時刻は、13:24だった。下車したすぐ先は、神社だった。参道を行くと神社の説明看板が沢山あった。
進むとすぐに境内入口だった。鳥居をくぐると右手に手水舎があり手を清めた。
左手は受付、正面は、舞殿であった。
舞殿の右側を進んで行くと拝所の神門があり、ここで参拝した。そして、神門越しに本殿を拝観した。本殿は、国重文である。
参拝が終わると、裏山の摂末社を参拝した。古は三十六ヶ所あったようだが兵火で失われ、現在は、数社である。
杜へ進みいろいろな摂末社を参拝した。
参拝終了後は、バスで帰る予定であったが、バスの時間まで境内で時間を潰せないので、千代川駅まで歩くことにした。
境内を出た後、ご神体とされる御陰山を撮影した。また、途中、千歳車塚古墳を見学することができた。この古墳は、前方後円墳で全長80mである。5世紀代、古墳時代中期に築造されたと推定されていると。
千代川駅で電車に乗車し亀岡へ、亀岡でコインロッカーから荷物を出した後、京都へ、京都から特急サンダーバードに乗車し敦賀へ向かった。敦賀では、東横イン敦賀(\4,380)に宿泊した。
翌日は、若狭国一宮参拝である。
(2017/10/23)