対馬国の一宮は、海神神社と厳原八幡宮の二社である。
海神神社(かいじんじんじゃ)の所在地は長崎県対馬市峰町木坂247で、対馬島のほゞ中央の西海岸にある。
式内社(名神大社)論社で、旧社格は国幣中社である。
主祭神は、
・豊玉姫命
である。
境内に由緒書きがあったので、掲載しておく。
お城巡りを行っているとき、対馬のお城を見たかったが、遠くて費用がかかるので見合わせていた。一宮巡拝を行い最後に対馬国一宮が残った。費用はかかるけれどもお城巡りと合わせて対馬へ行くことにした。
対馬へは、船で行くより羽田から飛行機で行く方がよいことがわかったので、半年前にANAの旅割を予約した。福岡乗り換えで往復43,380円だった。対馬内の移動は、路線バスとレンタカーを考えたが、対馬では、右ハンドルに慣れていない韓国人が運転しているようで事故に巻き込まれるおそれがあるし、入れ換えできない狭い道路を通る必要があるなど心配なことが多かった。いろいろ調べた結果、それほど高くない観光タクシーがあることがわかった。@金田城跡、A万関橋、B海神神社、C和多都美神社を廻る「歴史・文化コース」が6時間、20,760円だったので、これを利用することにした。
2016年5月10日、常陸多賀駅前7:45発の高速バスで上野へ、羽田発13:25のANA便に搭乗し福岡へ、福岡で15:40発ANA便で対馬へ、対馬では、風が強く着陸に失敗した。着陸できないときは、福岡空港に引き返すというので非常に心配した。幸いにも2回目のトライで着陸できたが、着陸時のショックは大きく機体が一部破損したのではないかと思うほどだった。でも、着陸できたので、多くの人と一緒に拍手をした。機内アナウンスは、「機体には、問題ありません」と。対馬空港からは、路線バスを利用する予定であったが、着陸が遅れたため、路線バスは通過していたので、タクシーで宿泊先の厳原の「ホテル対馬」へ向かった。
11日朝、ホテルを観光タクシーで発ち海神神社へ向かったが、名勝地の万関橋を通るので、ここで降車して見学した。対馬は、途中に切れ目のない島であるが、明治の日本海軍は、対馬の西側からすぐに東側に出れるように陸地を切削し海峡にして橋を架けた。これが万関橋である。日本海海戦のときは、この海峡を通って西側から東側に艦艇が出たという。明治の人の安全保障への取り組みに敬服せざるを得なかった。これに比べて今の日本は、日本を二度と立ち上がれないようにと仕組んだGHQの呪縛から抜け出せないでいる。実に嘆かわしい。
万関橋の見学が終わると北に向かって走った。途中、運転手が通過する地域を詳しく説明してくれた。約40分走ったところで、走ってきた国道328号から左方の神社へ行く県道48号の分岐に来た。県道48に入ると左側は、三根湾である。
しばらく行くと、右手の山の方へ入り、海に近づくと石塀の家が続いた。
西海岸に出てすぐに左手に「藻小屋(もごや)」が見えた。ここは、「木坂御前浜園地」と呼ばれているようだ。藻小屋は、昔は方々にあったようだが、現在は、ここと他に1ヶ所あるだけだとう。
藻小屋を過ぎると分岐があり直進すると神社のある木坂である。分岐を過ぎると間もなく鳥居が見えてきた。
鳥居前で下車した。運転手は、待っているというので、一人で鳥居をくぐり境内に入っていった。鳥居の先は広く、はるか先に二ノ鳥居が見えた。
進んで行くと左手に手水舎、右手は二ノ鳥居があった。
二ノ鳥居の先は、石段が延々と続いていた。
石段を昇って行くと三ノ鳥居に着いた。三ノ鳥居の先の石段の先に社殿が見えた。
石段を昇り切ると目の前は、拝殿であった。石段が長かったので、一ノ鳥居をくぐってから約10分を経過していた。拝殿前で参拝した。
参拝後、右に廻って本殿を拝観した。本殿の右側には、摂社と末社が並んでいた。
下に社殿全景を示す。
社殿全景
参拝後は、再びタクシーに乗り帰路についたが、途中、烏帽子岳展望所へ登り対馬の島々を展望した。その後、すぐ近くの和多津美神社を参拝した。この神社は、海中の鳥居で有名である。参考までに写真を載せておく。
厳原に戻ると、厳原八幡宮神社参拝である。
厳原八幡宮神社(いづはらはちまんぐうじんじゃ)の所在地は 長崎県対馬市厳原町中村645-1で、厳原町内のわかり易いところにある。単に「厳原八幡宮」とも称されるが、正式名称は、「八幡宮神社」である。
式内社(名神大社)論社で、旧社格は県社である。また、対馬国一宮論社であるが、現在は、一宮を称していない。詳しくは、Wikipediaを見ていただきたい。
主祭神は、応神天皇、神功皇后、仲哀天皇、姫大神、武内宿禰である。
境内に由緒書きがあったので、掲載しておく。
2016年5月11日、海神神社参拝後、厳原に帰り八幡宮神社を参拝した。八幡宮神社は、厳原町の中心を通る国道382号の西側にある。一ノ鳥居の左右には、古くからあるという立派な石塀があった。
一ノ鳥居
石垣は、インカ帝国の石垣を思わせる立派な出来栄えであった。一ノ鳥居をくぐって進んで行くと二ノ鳥居があり、右上方に神門が見えた。
二ノ鳥居をくぐり右手の石段を登ると神門である。神門から遠方に拝殿が見え、左側に手水舎も見えた。
神門を通って拝殿へ行き参拝した。拝殿の左側に入り本殿を拝観した。
八幡宮神社参拝後は、金石城、万松院、清水山城を見学した。参考までに写真を2枚載せておく。
この日は、清水山城見学で終わったが、翌日は、古代山城の金田城(かなたのき)を見学した。 (2018/01/21)