産経新聞 2012/07/07 1面コラム

日本の未来を考える

国債利回り安定…でも安全?

東京大・大学院教授 伊藤元重

 日本の国債残高が膨大な規模に膨れ上がっているにもかかわらず、国債の利回りは10年物金利でも1%を切るという低さである。言い換えれば、国債価格は非常に高い値を維持 している。これは他国に例を見ないような異常な状況である,対GDP比で200%にもなる日本の国債金利は安定しているのに、150%程度のイタリアやスペインが財政危機 に陥っている。その違いは、日本国内の潤沢な貯蓄が日本の国債を買い支えているからだと説明される。イタリアやスペインの国債の多くは外国の金融機関が保有しているが、日 本の国債はその大半が国内の貯蓄資金によって支えられている。だから日本は大丈夫だ、という怪しい議論が横行している。
 本当に日本の貯蓄は、日本の国債を買い支えるほどに潤沢なのだろうか。この点を分析するためには、家計貯蓄と企業貯蓄に分けて考える必要がある。
 まず家計部門であるが、その貯蓄率は確実に減少している。日本の家計貯蓄率は米国よりも低くなっている。貯蓄率がマイナスになるのは時間の問題である。家計部門の貯蓄率 が下がっているのには理由がある。高齢化が進んでいるからだ。人口に占める高齢者の割合が増えるほど、家計全体でみた貯蓄率はさがってしまうのだ。データを見るかぎり、家 計部門の貯蓄が国債を買い支えるということは期待できない。政府は毎年膨大な赤字を出し続けており、そのための国債の購入を、家計の貯蓄以外の所に求めざるをえないのだ。
 興味深いことに、家計の貯蓄率が下がるのを補うような形で、このところ企業の貯蓄が増えている。企業部門は設備投資や海外投資などに積極的に資金を回すのではなく、銀行 預金などの形で「貯蓄」しているのだ。デフレと景気低迷で積極的に投資できない企業が、とりあえず資金を手元にキープしておこうという貯蓄なのだ。この企業の貯蓄が、家計 の貯蓄の減少分を補っている。だから、国債を買い支える貯蓄資金が枯渇しないのだ。
 問題は企業からの潤沢な貯蓄が今後も金融市場に入り続けるのだろうかということだ。景気という視点から見れば、企業が投資もしないで資金をため込むということは健全なこ とではない。皮肉にも企業が貯蓄に励むことが、景気には好ましくないが、国債を買い支 える資金を提供する結果となっている。景気が悪い間は国債の金利上昇はない、というこ とになる。しかし、それでは困る。
 しかし、もし企業が積極的に投資を始めれば、国債購入に回る貯蓄資金は減ってしまう。設備投資、研究開発投資、海外投資、M&Aなど、 投資の形はいろいろなものがありえる。これらの投資が活発になってくれば、企業貯蓄は国債購入に回らなくなるのだ。
 景気が低迷したまま国債市場が安定しているのか。それとも景気回復の兆しが見えると同時に国債の利回りか上がっていくのか。どちらに転んでも、日本経済には大変な状況 だ,欧州で起きている財政危機は、多くの日本人にとって対岸の火事のように思われているかもしれない。しかし、いったん国債の利回りが上がり始めると、財政運営は非常に厳 しいことになる、という教訓は学ぶべきだろう。(いとうもとしげ)

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