母の11種の薬を全廃す

 母は、父が亡くなった後、そのまま松江で一人暮らしをしていた。90歳の頃、左目視神経の静脈破裂が発生し、左目はほとんど見えなくなったが、右目で生活していた。ところが、93歳になる少し前(2005年1月)、大切な右目に左目と同じ視神経静脈破裂が発生し血液が網膜に拡がりほとんど見えなくなった。当初の視力は、0.04程度であったが、後0.07程度まで回復した。
 目がほとんどみえなくなったため一人で生活できなくなったので、子供たち4人が交代で面倒をみることにした。私は、会社勤務を終え年金生活に入っており余裕があったので、月のうち半分は松江へ行って面倒を見ることにした。また、要介護認定を申請し、「要介護2」の認定を得た。
 2005年2月から面倒を見出したが、母はそのとき、目の内服薬5種類と白内障点眼薬カタリン1種類、内科の内服薬3種類(胃酸の分泌を抑えるタガメット錠と胃の粘膜を保護するアルサルミン細粒、およびコレステロール低下剤)を服用していた。ただし、面倒を見出してから、母は、胸やけを訴えることはなかった。
 その後、胸部レントゲン診断の結果、血圧降下剤(利尿剤、ただし通常の半分)が追加され、また、たまたま親指が痺れたということで妹が内科医へ連れていったところ、将来脳梗塞のおそれがあるということでバイアスピリンが処方された。これにより、内服薬は10種類になった。
 当時、私は、医者が処方したものは、できるだけ忠実に実行した方がよいと考えていたので、忘れないように飲ませていた。

胃薬の中止
 タガメット錠とアルサルミン細粒について、医者が言うには、胃カメラを飲んでもらえないので明確なことは言えないけれども、背中が曲がっているので、食道は間違いなく荒れているはずだと。
 2006年10月3日、新谷弘実著「病気にならない生き方」に接し、この中の「胃薬を飲めば飲むほど胃は悪くなる」などに刺激された。以前から自覚症状もないのに胃薬を継続して飲むことに疑問を感じていたので、2006年10月10日、胸やけ症状を訴えないことを医者に話し、この2つの薬を中止した。中止後も胸やけを訴えることはなかった。
 後日、水素水の飲み方を明確にするため、「病気にならない生き方」155頁「食事の一時間前に水を飲みなさい」のところを読み直した。「夜寝る前や夜中に目覚めたときに、血がドロドロになるのを防ぐために、のどが渇いていなくても水を飲んだほうがいいと指導する医師もいますが、私はこの意見には反対です。夜寝る前の水分摂取は、先に述べた『逆流』を防ぐためにも避けなければなりません。」というところで、ハッとひらめいた。「なんだ! 母の胸やけ原因は、これだったのか!」と。
 母の右眼がまだ健在で一人暮らしをしているときは、私は、年3回程度松江へご機嫌うかがいに行っていた。そのとき、母は次のようなことを言っていたが、聞き流していた。
  • 掛かりつけの医者から毎日ヤカン一杯の水を飲むように言われた。ヤカン一杯の水はとても飲めないので、水の代わりに番茶でもいいですかと聞いたところよいと。そこで番茶をできるだけ飲むようにしている。
  • 夜、胸やけがするので、薬をもらっているが、先生は「甘いお菓子を食べるからだ。」と言う。胃液が逆流しないよう体の上の方に座布団などを敷き胸を高くして寝るように言われた。
 母は、医者の言うことは、金科玉条として遵守するところがあったので、夕食後、就寝前、夜中にトイレに起きたときなどでも、できるだけ沢山の番茶を飲むよう努力していた。私はそれを見てしようがないなと思うだけだった。
 その後、右眼の視神経静脈破裂が発生し、目が殆ど見えなくなると、そのショックで番茶を飲むことなど完全に忘れ、夜中に飲むようなことはしなくなった。 要するに、医者から一日にヤカン一杯の水を飲めと言われたので、就寝前、あるいは就寝中途でも番茶をせっせと飲んだため、胃酸が食道に逆流し胸やけが発生していたのだ。そして、それを防ぐため胃薬が処方されていたのである。何ともお粗末な顛末である。

コレステロール低下剤の中止
 胃薬中止と同時にコレステロール低下剤も中止した。94歳にもなって今更コレステロールを気にすることもないだろうという単純な考えであった。医者は、コレステロール低下剤については、患者の希望に任せているようで反対はしなかった。だが、単純な考えで中止したため本当に大丈夫かと少々心配になったので、後日、本を購入し少々勉強した。興味のある方は、別ページをみていただきたい。
 本を読んでもインターネットを調べても、220の設定根拠がさっぱりわからない。実にいい加減である。数値は、日本動脈硬化学会が単独に決めたもので、すべての病気を考慮して決めたものではない。これには驚いた。ところが、いろいろな市や団体の調査データを分析すると高めの220〜280が一番丈夫で長生きするという。コレステロールを下げると免疫力が低下し感染症に弱くなり、肺炎やガンになりやすくなるという。
 日本人のコレステロール分布は、ほゞ正規分布をしている。220というのは、正規分布の3シグマどころか1シグマより小さい値である。QCなどいろいろやってきた技術屋の私には、このような設定は全くクレージーである。中止してよかったと思っている。

 これで内科の薬は、降圧剤と脳梗塞予防のバイアスピリンの2種類となった。
 目の薬の方は、医師に薬はできるだけ減らしてくださいとお願いし、2006年末には内服薬2種類とカタリンになっていた。
 ところで、2007年1月、新潟大学大学院の安保徹教授の書籍数冊に接し、薬はできるだけ中止すべきことを再認識した。彼は、薬は頓服的に飲むのはよいが、継続して飲んではならないと強調していた。また、著書「医療が病いをつくる」の中の下記文面に強い刺激をうけた。
 「アメリカで評判の医師用教科書【ドクターズルール425】(邦訳『医師の心得集』)の一文を紹介する。
 『可能ならすべての薬を中止せよ。不可能なら、できるだけ多くの薬を中止せよ』『薬の数が増えれば副作用の可能性はネズミ算的に増える』『四種類以上の薬を飲んでいる患者は医学知識の及ばぬ危険な領域にいる』『高齢者のほとんどは薬を中止すると体調がよくなる』」
 兎に角、薬をできるだけ減らし、できれば、全部止めることを考え始めた。

降圧剤の中止
 血圧は、内科医院で計ると大体150〜160であった。胸のレントゲン写真を見ると心臓が肥大し径が2倍になっていた。破裂すると終わりなので、血圧を下げておいたがよいという。
 そこで、自宅に居るとき血圧はどれくらいだろうかと考え、血圧計を購入して計ってみた。するとどうだろう、平静にしているときは、100〜110程度でまったく問題なかった。トイレに行って帰ってくると140ぐらいに上がっており、押し車を押して100メートル程度散歩すると150ぐらいに上がっていた。
 医院へ行くときは、自宅の玄関で靴をはき、よぼよぼ歩いてタクシーに乗り、7〜8分後、医院でタクシーから降り、また、よぼよぼ歩いて医院のフロアに上がるという動作であり、これは、年老いた母には相当な運動である。その上、医師の前では緊張するので、150〜160になるのは、当然でであると思った。 そこで降下剤を飲み尽くし、次の降下剤をもらいに行くのを延ばし3日間飲ませなかったが、血圧は殆ど変わらなかった。
 2007年2月3日、久々に健診してもらうため母を内科医へ連れて行った。
このとき、自宅で測定した血圧データを提示し、自宅では血圧は低いので、降下剤もバイアスピリンも止めましょうと提案した。すると、心臓が肥大しているし、血小板が多いので、共に続けたがよいという。医学論争をすると喧嘩になるので、「95歳にもなっているので、薬で身体をコントロールすることはもういいです。
自然のままで行きたいので、薬は止めましょう。」と申し上げた。医師はあれこれ言って抵抗したが、「自然のままで行きます。」の一点張りでこれを数回繰り返し中止にこぎつけた。医師は非常に不機嫌であった。これで内科の薬はゼロになった。

目の内服薬の中止
 目の内服薬は、カリクレイン錠とヨーレチンである。
 カリクレイン錠をインターネットで調べると「血管を広げ血行をよくするお薬です。」とあり、説明の中に「強い作用はありませんが、副作用は少なく安全なお薬です。」とあった。更にあちこち調べたら、「動物の膵臓から抽出精製されたドイツの薬剤で、日本でも多く使用されていますが、アメリカやイギリスでは発売されていません。イギリスでは以前、注射薬は発売されていましたが、今ではそれも発売されていません。本剤は、内服した場合には胃酸で分解されてしまう可能性があります。」と、また、別のページでは、「服用を始めてすぐに効果が出るものではなく、長く続けることになりますので、医師とよく相談しながら根気よく続けましょう。」とあった。血管を広げる作用なので、すぐに効果が出るものではないことはわかるが、長く続けるとはまさに薬漬けである。そもそもこの薬は、左目の静脈破裂のときから処方されていた薬で、右目の静脈破裂の予防も兼ねていたはずである。しかし、右目で再発しているので、効果なしを実証した薬とも言える。どうやら、この薬は、胃酸で分解され効いていないかもしれない。こんな薬なら止めてもよいと思った。
 次はヨーレチン、これは薬というよりヨード補給のサプリメントのようなものなので、止めても問題ないと思った。気になるならば、昆布とかワカメなどヨードを含んだ海草を多めに摂ればよいと思った。そこで、2007年7月2日、定期検診に行ったとき、「2年半も経過したので、薬は止めませんか。」と申し出、中止にこぎつけた。ただし、カタリンは、継続しないとダメだというので、とりあえず継続することにした。

点眼薬カタリンの中止
 カタリンをインターネットで調べていたら、興味あるページが見つかった。
 おくすり千一夜 第百八十九話「カタリン お前もか!」という記事である。これによると、厚生労働省研究班が過去の臨床試験データを検討したところ、症例数が少なすぎたり、評価方法に客観性が欠けていたり、信頼度の高い試験は殆ど無く、有効性は十分証明されていないことがわかったという。
 白内障の原因は、よくわからないといわれているが、新潟大学の安保徹教授によると、原因はストレスだという。ストレスならば、母の白内障の原因が見えてくる。
 母は、左目の視神経静脈破裂で眼科に通っていたときから、カタリンを処方されていた。2005年、右目の視神経静脈破裂のとき確認したときは、「白内障予防薬」であった。ようするに、白内障にはなっていなかったのである。老人なので、そのうち白内障になると考え「白内障予防薬」が処方されていたようだ。 ところが、右目が悪くなった2、3ヶ月後には、「白内障治療薬」に変わっていることに気がついた。そういえば、医者が血止めのためにレーザを使おうとするが白内障のためレーザがよく通らないと言っていたことを思い出し、母の眼をよく見ると水晶体が白く濁っており白内障であることを確認した。
 左目が悪くなったときは、まだ右目が健在なので、多少の不便はあるものの、通常の生活に支障はなかった。ところが、右目も悪くなるとこれは大変なストレスである。なんとか医者に治してもらおうと懸命だった。眼科から帰ってくると、早々に次はいつ行くのかと質問する。兎に角、医者に行くのが待ち遠しい。この右目疾患の大きなストレスで白内障になったと考えられる。
 右目視神経静脈破裂後、1年半程度経過したとき、何かの聞き違いだと思うが、母が「今日、先生から、もう治りましたと言われた。でも、よく見えるようになっていない。これ以上はよくならないんだ。」と悟ったようなことを言った。このとき以降、「目医者へ行っても眼を見るだけで、何もしてくれない。」と言って眼科行きを嫌うようになった。
 どうやら、この段階でストレスはなくなったと考えられる。ストレスがなくなれば、白内障の進行はなくなるはずだ。
 そもそもカタリンは、「白内障治療薬」と書いてあるけれども、白内障を治す薬ではない。白内障の進行を少々遅らせるだけの薬であり、その有効性は、上記の厚生労働省研究班の調査の如く疑問である。たとえ白内障が多少進行したとしても、網膜が大きく損傷しているので、見え方にはほとんど影響ないと考えられる。また、カタリンは、米英では、効果がないので使用されていないという。
 以上のことから、カタリンを継続しても意味がないと判断したので、2007年10月、カタリンの処方を受けるのを止めた。

 以上で、薬の全廃が実現できた。
 現在(2008年8月)、薬を全廃してから10ヶ月経過したが、薬を止めたことによる悪い兆候はなにも現れていない。むしろ、コレステロール低下剤を中止したので免疫力が上り風邪を引いたけれども肺炎にならないで、長生きしているといえるかもしれない。
 母の薬を全廃した後、「薬とはいったい何だろうか?」と考え込んでしまった。安保教授は、薬は頓服的に服用するのはよいが、継続して服用してはならないと言っているがそのとおりだと思うようになった。
(2008.08.09)

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