出雲国一宮 出雲大社、熊野大社

 出雲国一宮は、出雲大社と熊野大社の2社である。「出雲風土記」に両社が一宮とされているようだ。

出雲大社

 出雲大社(いずもたいしゃ)の所在地は、島根県出雲市大社町杵築東195で、出雲市駅の北西微西直線距離で約8kmのところにある。正式名称は出雲大社サイトには「いづもおおやしろ」とあるが、一般的には、「いずもたいしゃ」と読まれる。
 式内社(名神大社)で、旧社格は官幣大社である。そして、本殿は国宝に指定されている。
 主祭神は、
  ・大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)
である。

 境内に由緒書きはなく、ホームページには、「由緒」という文字はないが、「御鎮座の由来」が、由緒相当と理解したので、これを掲載しておく。

出雲大社「御鎮座の由来」

 私は、松江市で生まれ出雲地区で育ったので、出雲国は、地元である。
 昭和21年、出雲市塩冶町(現在の地名)に住んでいるとき、小学校二年の夏、父に連れられて出雲大社に初めて参拝した。70年以上前のことであるが、かなり詳しく覚えている。そのときの拝殿は、火災前だったので、大きく威厳があった。後日、再建された拝殿を見て外観が変わった上に小さく見たのでがっかりしたことを覚えている。火災前は、入母屋造りであったが、火災後は、切妻造りで側面が、拝所になっており、見た感じが随分異なるのである。その後、10回以上参拝しているが、デジカメ登場前なので、写真はほとんどない。2012年本殿の修復が終わったところで参拝したが、以下の説明は、この時のものである。ただし、修復は完全に終わっていなくて、修復中のものが数棟あった。
 2012年10月23日、松江駅から山陰本線の電車に乗車し、出雲市で降り、出雲市からは、日御碕行きのバスに乗車した。神社の手前から歩いて行きたかったので、堀川に架る宇迦橋手前の「吉水館前」で降りて北に向かって歩き出した。橋の先に宇迦橋大鳥居が見え、鳥居の先は、松並木である。この松並木は、昔どおりであった。

 松並木を進んで行くと右手に黄色い建物が見えてきた。これは、一畑電鉄の大社駅である。帰りは、ここから松江へ帰る予定にしていた。

 更に進んで行くと遠方に鳥居が見えてきた。昔は、左の方は、旅館が並んでいたが、このときは、一軒も見当たらなかった。進んで行くと境内入口である。鳥居は、「勢溜せいだまりの鳥居」と言われる。

 鳥居をくぐって進んで行くと下り参道になっていた。その先は、橋がありその先に鉄製の鳥居があった。鳥居の先は、松並木の参道である。

 松並木の参道を進んで行った。左右は、芝生になっており明るかった。このあたりの風景は、昔とかわらないので非常に懐かしく感じた。

 進んで行くと左手に手水舎があり、正面は、四ノ鳥居がありその先に拝殿が見えた。

 鳥居をくぐって行くと拝殿である。ここで参拝した。参拝客が多く写真を撮るのに随分待った。


拝殿

 参拝後、右に廻って行ったところ、観祭楼の左にある八足門は、まだ、修復工事中であった。八足門と観祭楼の間から新装なった本殿の千木などを拝観した。

 右側を進んで行くと東側末社の19社があった。この社を見ると、初回参拝のときのことを思い出す。父がこの社について詳しく説明してくれたからである。「神無月のときは、全国から神様が集まって来てこの社にお入りになるのだ。出雲は、神無月ではなく神在月である。」などなど。
 更に進んで左側を見ると瑞垣内に本殿(国宝)が見えたが、近くには、まだ修復中の社が数社あった。修復を行っていないときは、本殿の後ろを通って左側に行けたが、このときは、廻れなかったので、引き返し、左側へ廻った。

 左側には、西側末社の19社があり、進んで行くと右側に、本殿の屋根が見えた。奥へ進んで行ったが、氏社が2社ありその先に宝庫があったが、そこから先へは、行けなかった。

 この後は、西側にある神楽殿と祖霊社へ行き参拝した。

 その後、西方の稲佐の浜の方へ向かった。過去に参拝したときは、必ず稲佐の浜へ行ったが、今回は、稲佐の浜へは行かないで、今までに行ったことのない奉納山公園へ行ってみることにした。この公園は、小高い山の上にあり、登り口左側には、「出雲阿国終焉地之碑」という石碑があった。登って行くと途中に出雲阿国の塔があった。手前右側に、「藝術座 水谷八重子」、手前左側に「森 律子 森 赫子」名を刻んだ燈籠台が立っていた。

 公園の頂上には、見晴台があり、見晴台から稲佐の浜を遠望した。中央の遥か彼方に三瓶山が見えた。三瓶山の東側にある橋波に6年間住んでいたので懐かしい。

 この後は、同じ道を引き返し、一畑電鉄の大社駅で電車に乗り松江へ帰った。

熊野大社

 熊野大社(くまのたいしゃ)の所在地は、島根県松江市八雲町熊野2451で、松江駅の南直線距離で約10kmのところにある。
 式内社(名神大社)で、旧社格は国幣大社である。
 主祭神は、御由緒書きによると、
  ・神祖熊野大神櫛御気野命くしみけぬのみこと
とあり、素盞嗚尊の尊称であるとあった。

 境内に由緒書きがあったが、劣化して読み難いので、転記して載せておいた。

熊野大社御由緒

 出雲国は、地元であるが、熊野大社には、わずか2回しか参拝していない。松江に生まれたけれども、父が教職に就いていたため、小、中学時代は、田舎に住んでいた。松江に住んだのは、中学3年の1年と高校の3年の計4年である。学校の遠足などでお宮参りをすることがあるが、熊野大社へは行っていなかったようだ。参拝したのは、2002年8月と2004年1月である。2004年1月は、一人で自転車で行っていた。以下は、2002年8月の写真を使って説明する。

 2002年8月14日、母と妹と妹の車で参拝した。
 駐車場に車を止めてから、参道入口の一ノ鳥居を見た後、神橋へ向かった。朱色の神橋の手前にニノ鳥居があった。

 神橋の先には、三ノ鳥居があり、左手に手水舎があった。進んで行くと、随神門である。随神門を通して拝殿が見え、随神門の右側に舞殿が見えた。

 随神門をくぐると正面は、拝殿である。拝殿で参拝した。


拝殿

 拝殿の右手前には、舞殿があり、拝殿右側の透かし塀から本殿を拝観した。

 その後は、拝殿の右側に行き、奇稲田姫が祀られている摂社の稲田神社を参拝した。

 次に、拝殿の左側に行き、摂社の伊邪那美神社を参拝した。

 伊邪那美神社の左側には、鑽火殿さんかでんがあった。鑽火は、古代から行われた発火法の一つである。詳しくは、説明板を掲載したので、ご覧いただきたい。
 最後に拝殿左側の透かし塀から再度本殿を拝観した。大社造りの構造がよくわかる。昭和23年(1948年)の造営なので新しい。

 最後に、社殿の全景を撮ったので掲載しておく。


社殿全景 左から随神門、拝殿、本殿、舞殿

 これで、熊野大社の参拝報告を終えると共に、出雲国一宮報告も終了とする。 (2018/02/3)

まとめ表に戻る     掲載順に戻る