21. ハル・ノートは最後通牒か? いや、そうではない(R03/12/3)

 青山繁晴氏によるとハワイの真珠湾ビジター・センターでは、日本への絶賛が溢れているというので、著書「きみの大逆転」を購入して読んでみた。読んでいくうちに驚愕したのは、ハル・ノートについての彼の見解であった。著書中の該当部分を別ページに示す。

 歴史教科書などによると、日本は、「ハルノート」により最後通牒を突き付けられたので、戦争になったと記載されている。「太平洋戦争の真実 東條英機宣誓供述書 東條由布子編」でも東條英機は、「ハルノート」を最後通牒と認識している。
 「ハルノート」は、Strictly Confidential, Tentative and Without Commitmentすなわち「仮のもであり法的拘束力は無い」と明記されているというのに何故に最後通牒と受け取ったのであろうか。日米交渉を担当した野村大使の判断だっただろうか。その時の外務大臣は、東郷茂コであるが、そのまま信用したのであろうか。彼は、東京裁判で禁固20年の判決を受けている。

(後日記:R04/8/16、 YouTube いわんかな#18-1【日米開戦の真実・前編】を視聴していたところ、堤堯氏が、「ハルノートを読んで東郷茂徳外務大臣は、戦争しかないと言ったが、幣原喜重郎氏と吉田茂氏は、まだ交渉の余地があると言ったとどこかで読んだことがある」と言っていた。ハル・ノートを最後通牒とは思わなかった人もいたようだ。)

 アメリカは、日米交渉の打開を図るためにルーズベルト大統領名で天皇陛下に親書を送っているが、内容は、「ハルノート」とは全く異なり「仏印から撤退」である。アメリカがこの程度の考えならまだまだ交渉の余地があったと思う。
 日米戦争の敗戦責任は、「ハルノート」を最後通牒とした野村大使を含む外務省と真珠湾攻撃を主張し実行した山本五十六とそれを許可した長野修身海軍軍令部総長である。開戦前の昭和16年11月15日に大本営政府連絡会議において、「対米英蘭戦争終末促進に関する腹案」が決定されていたが、これを無視した真珠湾攻撃を阻止できなかったのは、東條英機の責任である。

 まだまともに勉強していないが、日本の対外交渉は、いつもとんでもない交渉をしてるように思えてならなくなった。どうも日本人は、交渉に当たっては、できるだけ相手の要求を受け入れることにしてるように見受けられる。長い間問題になっていた不平等条約は、日本人のこの考え方によるものでないだろうか。慰安婦問題も強制などなかったのに、韓国に責められると、謝罪したり金を出したりしている。
 今後、交渉術を改善できなければ、日本は、劣化するだけである。