陸奥一の宮 馬場 都々古別神社
都都古和気神社
社務所 福島県東白川郡棚倉町大字棚倉字馬場三九
御祭神
(主神)味耜高彦根命
大国主命の御子様で殖産興業指導厚生の神。一生を、父命と共に関東北の郷土開発に尽くされ、厚生の道を開き、国土開発の大業を成就された大神。
略沿革
延喜式神衹巻第十神名帳に、陸奥國白河郡名神大一座「都都古和気神社」とある御社で、凡そ二千年前、人皇十二代景行天皇御宇、日本武尊が東奥鎮撫の折、関東奥羽の味耜高彦根命を地主として、都々古山(現在西白河郡表郷村。一名を建鉾山と称す。)に鉾を経て御親祭せられたのが創始であり、古代祭祀場たる磐境である事が立証されている。(大場磐雄・亀井正道両博士による。)
人皇五十一代平城天皇大同二年(八〇七年)坂上田村麻呂は、伊野荘(現棚倉城址)に奉遷、社殿奉造し日本武尊を相殿に配祀し奉る。
寛永元年(一六二四年)丹波五郎左衛門長重公は、幕命により棚倉築城に際し、現在の地(馬場)に景勝の替地を奉り、更に社領を添加し、旧社殿を解体移築の上、同二年遷宮し奉る。
造営、神領寄進等は、坂上田村麻呂・源頼義・源義家等をはじめ、足利義満・白河城主・豊臣秀吉等、作事奉行を定め奉造の事が伝えられ、現本殿は、文禄年間(一五九二〜一五九五)秀吉の命により、佐竹義宣の奉造にかかるもので、桃山時代の手法がよく出ている。
中世、天災や兵火によって社殿焼亡又は大破した事もあるが、その時毎に、直ちに造営せられている。
神位、神階等奉授については、仁明天皇・清和天皇・陽成天皇・後冷泉天皇等各御宇に行われている。
平安時代中期から久慈川、社川、阿武隈川流域の人々の絶大なる信仰の対象であり、北郷二十四ヶ村にわたった神領地もその一証である。
徳川時代は代々、先規により神領朱印状を奉っていた。
明治四年太政官達し、同六年三月七日、国幣中社に列格した。