陸奥国一宮

鹽竈神社、八槻都々古別神社、馬場都都古和気神社、石都々古和気神社

八槻都都古別神社へ  馬場都都古和気神社へ  石都都古和気神社へ

 陸奥国は、現在の青森県、岩手県、宮城県、福島県、秋田県北東部を合わせたもので非常に広い。一宮を名乗る神社は、4社あるが、福島県の棚倉町に2社、福島県の石川町に1社、宮城県の塩竈市に1社である。大和の国の北限が、福島県あたりだったものが、後に多賀城ができ塩竈神社が一宮になったようである。

鹽竈神社

 鹽竈神社(しおがまじんじゃ)の所在地は宮城県塩竈市一森山1-1で、仙谷線の本塩釜駅の西、直線距離で約900mのところにある。
 この神社は、少々複雑で、同じ境内に鹽竈神社と志波彦神社があり、鹽竈神社は式外社、陸奥国一宮、志波彦神社は式内社(名神大社)、両社合わせて旧社格は国幣中社である。
 鹽竈神社の主祭神は、
 ・塩土老翁神、武甕槌神、経津主神
 志波彦神社の主祭神は、
 ・志波彦神
である。

 境内に由緒書きがあったので、掲載しておく。

鹽竈神社由緒    志波彦神社由緒

 鹽竈神社には、1990年頃、勤務先の会社の仕事で塩竈に出張したとき参拝したことがあるが、記憶だけで写真はない。一宮巡りを始めて適当な時期に参拝しようとしたが、2011年の東日本大震災で常磐線がいわき以北で不通になり簡単に行けなくなった。2015年8月、一宮巡拝は、残るところ陸奥国と対馬国になったので、陸奥国一宮の鹽竈神社参拝を考えた。ネットで調べたところ、いわき駅前から仙台行きのバスがでていることを知り、しかも1日で参拝できることがわかった。

 2015年8月7日、常陸多賀駅7:28発の電車でいわきへ、いわき駅前から新常磐交通の高速バスで仙台駅へ、仙台から仙谷線で本塩釜へ、本塩釜には、12:34に着いた。東日本大震災から4年以上経過していたので、駅周りには、被害跡は、見えなく、駅も街並みもきれいだった。

 駅前の道路を左の方へ歩いて行くと、神社入口があったが、これは正門ではなく、出口のようであったので、通過して進んで行った。

 進んで行くと正門に着いた。

 石段を昇って行くと道路に出たが、道路の先の石段の先に楼門があった。

 楼門を入ると左手に手水舎があり正面に唐門が見えた。

 唐門を入ると正面には、左右宮拝殿があり、右側には「別宮」があった。

 よく調査して行かなかったので、別宮を理解していなかった。鹽竈神社のホームページには、次の説明があった。
『◇通常の神社は鳥居ないし門を入った正面に主祭神を祀っておりますが、鹽竈神社は正面に左右宮(鹿島・香取の神)が南向きに、門を入って右手に主祭神たる塩土老翁神を祀る別宮が松島湾を背に西向きに立っております。
→これは伊達家の守護神たる鹿島・香取の神を仙台城の方角に向けて建て、大神主たる藩主が城から遙拝出来る様に配し、海上守護の塩土老翁神には海難を背負って頂くよう海に背を向けているとも言われております。
◇主祭神を祀る宮がなぜ別宮というのでしょう。
→この別とはメインに対するサブやセカンドという2番目の意味ではなく、特別(スペシャル)な社と言う意味です。』
 拝殿で参拝した後、本殿を拝観しようとしたが、拝殿より奥へは行けなかったので、遠方から本殿の屋根を見るだけだった。別宮の本殿は、拝観していなかった。

 なお、平成14年12月に本殿・拝殿・四足門(唐門)・廻廊・随神門(楼門)以下14棟と石鳥居1基が国の重要文化財の指定を受けている。
 鹽竈神社の参拝が終わると神社の右側の東門を出て、志波彦神社参拝へ向かった。残念ながら志波彦神社の拝殿と本殿は、修理中で拝観できなかった。参拝しただけであった。。

 志波彦神社参拝後は、東参道(裏参道)の鳥居を通り神馬舎、博物館前を通って上で出口と書いたところに出た。このとき時刻は、13:46だった。

 帰りは、仙台駅東口発15:50のバスでいわきに向かい、常陸多賀に着いたのは、20時過ぎだった。

八槻都々古別神社

 八槻都々古別神社(やつきつつこわけじんじゃ)の所在地は 福島県東白川郡棚倉町八槻大宮224で、JR水郡線磐城棚倉駅の南、直線距離で約4.5kmのところにある。正式名称は、「都々古別神社」であるが、馬場にも都々古別神社があるので、区別するために頭に「八槻」を付けている。
 式内社(名神大社)論社で、旧社格は国幣中社である。
 主祭神は、
 味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)
 境内に、由緒書きがあったが、上にガラス板があったため光が反射しうまく撮れなかったので、転記したものを掲載する。

八槻都々古別神社由緒

 八槻都々古別神社は、国道118号を車で南から棚倉町に入ってしばらくすると左へゆるやかにカーブするところの正面に鳥居が見え由緒ありそうなたたずまいである。国道118号を数回通っているとどうも気になり2003年7月27日に参拝している。このときは、一宮巡拝するかなり前である。
 2014年春、未参拝の一宮は、少なくなっていたので、棚倉周りの3社を家内と参拝することにした。
 2014年5月4日、9時過ぎに常陸多賀の自宅を発ち、11時過ぎに八槻都々古別神社についた。国道から鳥居が見えた。以下参拝の状況である。


国道118号から見える鳥居

 鳥居をくぐると左手に手水舎があり正面は、神門であった。神門には、「奥州一宮」という扁額が架っていた。

 神門を入ると拝殿である。拝殿で参拝し、右側に行き本殿を拝観した。

 参拝が終わると4〜5キロ北にある馬場都都古和気神社に向かった。

馬場都都古和気神社

 馬場都都古和気神社(ばばつつこわけじんじゃ)の所在地は 福島県東白川郡棚倉町棚倉馬場39で、JR水郡線磐城棚倉駅の西、直線距離で約800mのところにある。正式名称は、「都都古和気神社」であるが、八槻にも都々古別神社があるので、区別するために頭に「馬場」を付けている。
 式内社(名神大社)論社で、旧社格は国幣中社である。
 主祭神は、八槻都々古別神社と同じである。
 味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)
 由緒書きは、拝殿の前に貼紙で表示されおり、写真では、掲載できないので、転記して縦書きにして掲載した。

馬場都都古和気神社由緒

 八槻都々古別神社参拝後、車で北に向かって移動し、馬場都都古和気神社に着いた。

 石段を昇って行くと左手に手水舎があり、正面は、神門だった。

 神門を抜けると遠方に社殿が見えた。近づいて行くと社殿は、瑞垣に囲まれていた。

 瑞垣入口の鳥居をくぐると正面は、拝殿である。拝殿の前には、いろいろなものが置いてあった。

 拝殿で参拝した後、右に廻って本殿を拝観した。

 馬場都都古和気神社参拝後は、石都々古和気神社のある石川町へ向かった。

石都々古和気神社

 石都々古和気神社(いわつつこわけじんじゃ)の所在地は 福島県石川郡石川町下泉296で、JR水郡線磐城石川駅の東北、直線距離で約800mのところにある。
 式内社(小社)で、旧社格は郷社である。
 主祭神は、
 ・味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)
 ・大国主命
 ・誉田別命
 味耜高彦根命は、棚倉の都々古和気神社と同じである。
 由緒書き板には、ぎっしり書いてあり読み難いが写真のまま載せておく。

石都々古和気神社由緒

 馬場都都古和気神社参拝後、車で国道118号を北上し、県道40号に入り石川町役場に着いた。神社の境内入口は、すぐ横である。

 鳥居を入ると右手に手水舎があり、神社の説明看板があった。その先は石段である。

 石段を昇って進むと左手に天狗岩があった。案内図にあるように社殿へ行くまでに花崗岩の磐境が沢山あった。更に昇って行くと鳥居代りの石門がった。

 石門を通ると右手に勾玉岩がり、左手には、石段があり見上げると社殿が見えた。

 石段を昇ると間近に拝殿があた。石段を昇りきったところの正面からは、拝殿全景を撮ることはできなかった。

 拝殿で参拝し左側から本殿を拝観した。本殿は、鞘屋根で保護されていた。

 神社のある八幡山には、過去に石川城(三芦城)があった。その案内の石碑や説明板があった。

 石川城跡については、神社入口に詳しい説明板がったので、参考までに載せておく。石川城は、石川氏が前九年の役から24代続いたが、秀吉の奥州仕置により領地を没収され廃城になっている。

石川城跡説明板

 参拝が終わると国道118号を南下し帰宅した。 (2017/12/10)

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